退職の日 | ひまのブログ IgA腎症と28年目の戦い

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「扁桃腺摘出・ステロイドパルス療法」
からすでに長い月日が経過してとうとう透析になってしまいました。そこまでのドタバタ端末を書いていきたいと思います

昨日、会社を退職しました。

下の子が幼稚園に入ってから、ずっと仕事を続けていました。

前職が16年、今回が5年半。

どちらも、365日営業している会社で盆暮正月もGWも基本休めない。

だから子供達も日曜日にどこにも連れて行ってあげられなかった。夏休みにやっと連休取って、キャンプにいくのが精一杯。


息子②が大雪の日に免許取り立ての癖に友達を高速で家まで送ってやって、帰りに滑って事故った。1回目の車検が終わったばかりの私の愛車は全損。まあ、怪我がなかったのは、不幸中の幸いだったけれど。車検代払った挙句、全損で車を買い替えなくてはならなかった。前職は何年経っても県の最低賃金のままだった。結局、仕事おわってからもう一つアルバイトを始めた。朝7時に家を出て、5時まで一つ目の仕事。その後6時からアルバイトが9時半まで。たまに10時まで。

それから帰って、明日のお弁当の準備や家事。

寝るのは12時いつも過ぎてた。

朝は5時起き。

こんな生活してたら、元々腎機能が落ちているのに耐えられる訳がないよね。

でも、気にしている暇はなかった。


余りにも前職がブラック企業で、給与も待遇も良くなる事は全くなく、求められる事だけは多かった。そして16年でとうとうブチ切れて辞めた。


今の職場は、本当にホワイトで労働基準局に訴える事なんか、あり得ない。同僚も優しい人ばかりで、(カスハラはあるけれど)精神的にとっても穏やかに仕事することが出来た。


骨折したり、1ヶ月ちょっとも入院したり、もどったと思ったら、シャントだめになってまた急遽1ヶ月も入院。迷惑ばっからかけて来たと思う。

最後の入院の時の手術で、左手の人差し指が全く動かなくなってしまって、片手で出来る仕事に回して貰った。この入院で体力がなくなってしまい、6時間の仕事をする事が出来ず、3〜4時間の勤務にして貰っていた。


それでも、体調が悪くてこれ以上仕事を続けると迷惑になると思い、退職を決意した。


そして、昨日夜8時までの勤務だった。

カウンターのテーブルの上に、餞別の品がたくさんのっていた。私と入れ替わりの時間で帰る同僚は、餞別を手に戻って来てくれた。

午前中の仕事の同僚がわざわざ挨拶に餞別を持って来てくれた。その日休みの同僚もわざわざきてくれた。みんなから寄せ書きをアルバムにして貰った。


今まで、社員の移動で餞別の品がたくさんある事はあったけれど、パートの人が辞めても寄せ書きだけというのが普通だった。だから自分に何かあるなんて、考えてもいなかった。 


ロッカーの中を片付けて、私物を全部持って、荷物はそれだけの筈だった。

それが両手にいっぱいの袋を抱えて帰るなんて。こんなに幸せで良いのかな?



私が猫好きって、知ってるから、猫のにくきゅうのたまごボーロ

ユニクロ薄いから、薄いハンカチかなと思ったら、ギフトカードだった。金額が大き過ぎるのでそのまま貰う訳にはいかないので、今日透析後にお返しの品を買いに行ってきた。大体の方は猫のハンカチ。ギフトカードの彼女には籐のバッグとハンカチ。気に入らないかな?娘くらいの年なんだけど、私男の子しか育てていないからね。


自分もここでは、穏やかでいられた。イライラもなかったし、喧嘩もする事もあり得ない。

明日からもう仕事に行かないのが、本当は悲しい。もっともっと仕事していたかった。

でも、身体がついていかない。

あっちもこっちも具合が悪い。


月曜日は検査と診察、金曜日はPTAでまた入院。

他にも検査しなければならないみたい。

仕事辞めたら、いっぱい遊ぶ気でいたのに、遊ぶ元気さえも無い。これからどうしよう。元気になるのかな?