前回の続きです。
今回は⑥搦手二の門までです。
下図の馬坂門から中に入った
ところです。
現在は休憩所になっている、
七番砲台跡の土台石垣が見
えます。手前の解説板のと
ころに行くと
もらったパンフレットにある
現在と幕末の重ね地図です。
解説板には歴史解説があります。
4ヶ国は軍艦を率いて兵庫に進出、
兵庫開港を要求します。
この事態を受けて、老中の阿部正
外と松前崇広は独断で兵庫開港を
決定します。このため朝廷は正外
と崇広に対して官位剥奪、謹慎を
命ずる勅命を下した。将軍家茂は
やむなく正外・崇広両閣老を免職
し、国許謹慎を命じた。
松前崇広の古写真です。
松前崇広の公式肖像画です。
別人のように描かれています。
松前崇広は慶応2年(1866年)1
月に松前に帰還したが、同年4月
25日、熱病により松前で死去しま
す。享年38。跡を養子の徳広が継
ぎました。
松前家18世藩主の松前徳広の肖像画です。
下図にあるように、築城した崇広の弟で
すが崇広の養子となり、松前家を継ぎま
した。しかし、病弱で政務困難でした。
1868年下級家臣たちの正義隊が藩政を
握り、明治新政府側になりますが、函館
戦争で幕府脱走軍に攻められて、落城し
ました。弘前に逃れるも肺結核で死去し
ます。享年25
松前家の略系図です。
松前徳広と墓碑です。
⑤付近から⑥方向です。
外堀に架かる木橋です。
この左側には
松前城の模型があります。
カメラを左に回すと
番所跡と六番砲台跡が見えます。
番所跡の解説板です。
番所の古写真です。
天守も写っています。
雨ざらしなので見難い
です。天守内に展示の
写真では
天守内展示の古写真です。
七番台場跡から見た天神坂門です。
⑧付近から⑤方向は
⑧付近から⑤方向で外堀はここ
から先、埋め立てられました。
二重太鼓櫓も今はありません。
堀の先に五番台場跡が見えます。
外堀木橋を渡ったところから、
五番台場跡方向です。
橋の反対側は
外堀橋の反対方向です。
この木橋を渡ると二の丸です。
⑥付近から搦手二の門です。
今回はここまでで、次回に続く
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