前回の続きです。
今回は松前奉行所跡から馬坂門へです。
2024年4月24日に訪問しました。
天気は曇りですが桜が満開でした。
天守資料館のパンフレットより引用
①の松前奉行所跡は松前町役場に
なっています。
松前奉行所跡の松前町役場です。
幕末には人口3万人ほどもあり、
北海道一の大都市でしたが、中心
が函館から札幌に移り、今は人口
6000人程度の町です。
松前は平地が少ないので、残念な
結果になっています。
天守が火事で焼けた火元はここで
した。
住民の行政・治安を預かる町奉行所です。
寛永年間(1624〜)には、すでに設置さ
れて、奉行・吟味役・下吟味役が2組あり
、月交代で勤務していました。
奉行所の建物は明治3年5月15日の火災で
焼失し、家老松前右京邸を移築して使用し、
この家老宅は開拓使分署→松前郡役所を経
て、その後はは松前町役場として使用され
ました。
昭和9年12月28日に国史跡に指定されま
すが、昭和24年6月5日の火災で焼失しま
した。その後現在の庁舎が建てられました。
町会所は役場の南側ありました。
奉行所の下部機関として町年寄りー見習一
町下代一町小使一名主一町代一五人組合頭
がいて、奉行所下代が町年寄と連携を取り、
運営されていました。
町年寄は町衆から出される書類を、点検し
事務処理していました。
①付近から②の馬坂橋方向は
桜満開で大勢の観光客が
来ています。
②にある馬坂橋です。
橋の上②から南方向の大松前川
です。大松前川は松前城の東側
外堀代わりです。
江戸時代に松前藩主がここから
登城したと言われます。
1614年の大阪冬の陣の時に、
藩主:慶広の4男由広が大坂
の豊臣方に味方しようとした
ので、家臣に襲われてこの付
近で斬り殺されました。真田
家の例もあるので、そこまで
しなくてもよかったですね。
馬坂にあるしだれ桜です。
馬坂です。
③付近で振り返ると
坂の下に馬坂橋が見えます。
③付近にある福山城跡の石碑です。
松前城は正式には福山館を改修し
たので、福山城と言われていまし
た。
④付近に行くと
④付近に石橋がありその先に
馬坂門がありました。
カメラを右に回すと
内堀があります。(下図参考)
馬坂門近くで咲くしだれ桜です。
今回はここまでで、次回に続く
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