新宮城(続日本100名城) 11 水ノ手曲輪 | みどりの木のブログ

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毎日UPでブログ

5年前のブログを再UPしました。

---水玉に映る梅の花---

 

前回の続きで最終回です。

今回は水ノ手曲輪です。

 

下図1の松の丸から水ノ手曲輪

に降りるところです。

 

1から水色の線に沿って、

水の手に降ります。

 

1付近の水ノ手曲輪に

降りる通路です。

カメラを上向きにすると

 

本丸附近が見えます。

 

降りて曲がった所2から振り返ると

 

2から振り返ると

 

2から振り返えった所です。

 

2から3方向です。

 

上図3から4方向は

 

上図3から4方向です。

 

下図4から5方向です。

降りていくと

 

水ノ手が見えます。

 

5付近に行くと

 

5付近です。

この先が通行禁止でした。

 

行き止まりまで来たところです。

降りてきた所を振り返ると

 

一番上が丸の丸です。

この付近からズームUPして

水ノ手を見ると

 

川縁にカモがいました。

 

下図6付近にいたカモさんです。

スームUP撮影しました。

 

 

 

 

炭納屋跡です。

 

新宮市観光協会のWebページより

熊野川側から見た水ノ手です。

 

発掘調査から見つかった

炭納屋群と船着き場の図です

 

炭納屋群の想像図です。

 

5付近にある解説板は

拡大すると

 

新宮炭は備長炭で、水野氏が専売

として、江戸で販売していました。

このおかげで新宮藩は10万石並

みの経済力があったといいます。

新宮産の炭は評判がよく、大消費

地の江戸に海路を使って、年間で

10万俵も送られ、江戸の炭相場を

左右しました。現代のように石油

が無いので、大きな需要がありま

した。新宮炭を満載した藩船は、

丹鶴城下の炭納屋に集められて、

新宮河口の池田港、または鵜殿港

から江戸へ配送しました。御手船

といわれた藩船は港に常時50隻

も停泊し、熊野川河口の港で、千

石船に積み替えて一航海で2000

俵を廻送しました。また海を越え

て運ばれた熊野材は、江戸の木材

需要の3割をまかなったといいま

す。

(新宮市観光協会Webページより)

 

正保1644年の絵図です。

このときすでに水ノ手が

描かれています。

 

解説板にある水ノ手の

発掘写真図です

 

倉本隆之氏制作の模型

水ノ手付近です。

 

今回はここまでで、

次回が最終回です。

 

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