紀伊田辺城 2 駐車場から台場まで | みどりの木のブログ

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毎日UPでブログ

5年前の更新を再UPしました。

 

前回の続きです。

今回は駐車場から台場までです。

 

下図①から南方向の駐車場と海です。

海の対岸は南紀白浜温泉です。

 

Google地図です。(上が北)

海岸線と水門跡と⑤の石垣を

もとに合成してます。

 

①から東方向の田辺市役所は

田辺市役所です。

 

上図①から②方向は

①から②方向です。

 

②付近に行くと

北側に田辺カトリック教会

があり、そこが台場跡です。

 

②付近を拡大しました。

扇ヶ浜台場跡とあります。

カトリック紀伊田辺教会

の敷地が高くなっている

ことが分かります。

 

②付近から見た台場跡です。

現在はカトリック紀伊田辺教会

です。日本防衛ための台場が、

外国の異教徒施設になり破壊

されていました。

 

②付近にある解説板です。

 

下図⑤付近から見た対岸の

白浜半島です。

 

この付近の海岸は、港が田辺市文里

に移るまで、田辺の玄関口として栄

えました。当時は大阪・和歌山方面

からの船便で来る人も多かったので

しょう。

 

1825年に江戸幕府が出した外国船

打払令では沿岸防衛のために、日本

全国に台場が造られています。

和歌山藩も沿岸防衛のために、

台場を造りました。こんなこと

で出費をしたら、田辺城を内陸

に移す資金がなくなります。

幕府は西洋の軍事力の強大さを

認識し、1842年に異国船打払

令を廃止し、遭難した船に限り

補給を認める「薪水給与令」を

出しています。しかし、防備の

備えはする必要がありました。

田辺城二の丸に南接した海岸に、

幕末、黒船来襲に備えて築かれた

砲台跡です。安政元年(1854年)

七月から約二ヵ年の短時日間に、

田辺安藤氏家臣柏木兵衛(淡水)

が中心となって施工しています。

設計と指導には同年五月播磨の

蘭学者村上代三郎を招き、長さ

三五間半(64m)、幅一三間余

(約23m)、高さ一丈(3m)

の台場を築き、その上の東・西

・南の三方に高さ八尺(約2.5m)

の土手を盛り、南側の海岸側に

幅五尺(1.5m)、深さ五尺の

堀を設けるという計画でした。

大砲は佐久間象山に学んだ兵衛

を中心に、四八ポンドのヘキザ

ンス砲、一八ポンドのカノン砲、

六ポンド・三ポンドなどの野戦

砲、ハンド臼砲など二八門を2

年間をかけて鋳造しています。

実際に試射したところ、砲弾が

対岸の白浜岬にある、番屋付近

まで飛んだそうです。

 

この図から田辺城から対岸の

白浜岬までは5Kmほどありま

す。有効射程ではない、砲身

45度の最大飛行距離と思いま

すが、当時世界は沿岸から3

kmまでを領海としていたの

で、十分な飛距離です。

 

アロエの花が咲いていました。

 

 

 

聖書の言葉が掲示されています。

 

③付近にある教会の看板です。

 

アロエに花が咲いていました。

 

アロエに花が咲いていました。

珍しいです。

 

台場は教会が建ち残らなかった

のが残念です。

 

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