新高山城(続日本100名城)6 軽石の段から匡真寺跡まで | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

5年前のブログを再UPしました。

 

前回の続きです。

今回は軽石の段から匡真(きょうしん)寺

跡までです。

 

一番上の番所:軽石の段です。

赤い→に行くと登城道です。

 

赤い線に沿って歩きました。

詳細な縄張図ですが、通路が

不明瞭です。

 

今回は⑭から⑮です。

この地図は簡略されていますが、

正確に作られています。

 

登城道に戻り進みます。

 

 

 

この坂の上が匡真寺跡です。

解説板が見えています。

 

上に見えていた解説板です。

1577年に小早川隆景は、父

の毛利元就7回忌に、ここ

に匡真寺を建立し、法会を

盛大に営みました。その後

三原城へ本拠を移したので、

この寺も三原の宗光寺にな

りまし。

 

宗光寺山門です。

新高山城の城門と伝わります。

 

1577年は織田信長が安土城

下に出した楽市・楽座令が有

名です。また、 織田信長に謀

反して、石山本願寺の囲みを

解いた、松永久秀が信貴山城

の戦いで爆死しています。

 

詳細な縄張図ですが、城内の

通路がよく分かりません。

 

解説板の位置から匡真寺跡の

西方向です。

ベンチの向こう側にある石の

近くに行くと

 

この石から南方向です。

石の上には瓦の破片が

あります。

拡大すると

 

瓦の破片は匡真寺のもの

と思います。

この石の北側は

 

北の端まで行くと

 

境内の北の端です。

この付近が庭園跡と思われる

場所で、泉水跡らしきものが

あり、水が溜まっていました。

境内の北側に建物があり、そ

の裏に庭園があったと考えら

れます。

 

毛利元就父子の歌が刻まれます。

1561年に父子がここで、連歌の

会をした時の歌です。この連歌の

会は本丸で行われたと考えられま

す。石碑は昭和に造られた歌碑で

す。

若木より見ん世も久し花の春  元就
霞の月にかはす松が枝   隆景
山風はのどかなる夜の明けそめて 隆元

隆元は元就の長男です。

 

登城道方向です。

ベンチの前を通る道に行くと

 

登城道が中の丸方向に

延びています。

 

ここの解説板を拡大してます。

 

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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