新高山城(続日本100名城)4 登城口から番所跡まで | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

ブログネタが切れてきたので、

明日から南紀の城を取材に行きます。

なので、次回分も今日UPしておきます。

 

前回の続きです。

今回は登城口から番所跡までです。

 

登城口にある新高山城解説板です。

 

小早川氏とは

 

相模国を本拠地とする、桓武平氏

土肥氏の分家で、鎌倉時代初期、

源頼朝に仕えた、土肥実平の子:

遠平の代から所領の相模国早河荘

(土肥郷)で、小早川(吾妻鏡で

は小早河)を名乗りました。

鎌倉初期に安芸国沼田荘の地頭職

を得て、以来この地方で勢力を振

るいました。鎌倉・室町時代を通

じて、小早川家の本城は高山城で

した。毛利元就の三男である隆景

が小早川本家の養子に入ると吉川

家とともに、「毛利両川」と並び

称されます。

隆景は豊臣政権において五大老

の一人となります。

1552年に隆景は支城だった。新

高山城を改修して、本拠地としま

した。1596年に三原城に移るま

で、45年間は新高山城が小早川

氏の本拠地でした。

隆景の養子秀秋は、関ヶ原の戦

いで東軍に内通し多くの所領を

得ますが、嗣子なく小早川家は

断絶しました。

明治時代に毛利公爵家の分家と

して再興され、男爵家に列しま

した。

 

現在地の駐車場にある地図です。

前回は⑩の大説明版のところまで

でした。

 

大説明板⑩の所です。

ここには登城地図などもあります。

画面左外には

 

植物の解説板もあります。

 

ここから登城します。

少し登って振り返ると

 

少し登って振り返えった

ところです。

さらに登っていきます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左に行くと鐘の段です。

先の方にブルーシートが見えます。

これは台風で被災した所です。

 

木にあるう回路の解説板です。

被災箇所がビニールシートの

ところです。今は復旧してい

たので、そのまま進みます。

 

 

 

う回路の張り紙です。

う回せずにそのまま進むと

 

さらに進むと

 

被災箇所は修復されていました。

 

この付近はアベマキの木が多いです。

 

ここを登ると下図⑪の番所跡です。

 

 

 

削平された上図⑪の番所跡が

あります。この付近は大変よ

く滑ります。

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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