座喜味城(続日本100名城) 1 歴史 | みどりの木のブログ

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5年前のUPを再UPしました。

 

今回から座喜味城(続日本100名城)

の紹介です。

 

下図②の座喜味城二の郭の門

が見えます。

 

1416年の尚巴志による北山討伐

に参加し、その後北山から戻り、

1422年までに座喜味(ざきみ)

城を築城しています。

1440年に護佐丸は中城城に移封

されています。

発掘調査の出土品に、16世紀の

ものも見られる事から、護佐丸

の移封後もしばらく利用されて

いたようです。

 

座喜味城の案内板です。

 

護佐丸の肖像画です。

 

西海岸を見渡せる標高127mの丘の上

に築かれています。座喜味城の北東4

kmに位置する山田城の城主:護佐丸

(ごさまる)が北山監守の時、石材が不

足したので、山田城を取り壊してその

石材を運び造りました。

 

 

主郭と二の郭からなり、外周365m、

総面積4012㎡(約1216坪)で、沖縄

の城としては中規模のものです。

本土の豪族屋敷が100×100㎡あった

ので、その半分以下です。

 

附近の地図です。

 

城壁は琉球石灰岩によるあいかた積

みを基調とし、アーチ門とその両脇

は整然とした布積みとなっています。

特に、沖縄では最古のアーチ門があ

り、アーチに楔(くさび)石が使用

されています。この座喜味城にしか

ない構造です。

 

石灰岩の城門にある楔石です。

 

現地の案内板です。

一の郭内には礎石があり、

建物が建っていました。

屋根は板葺きかかやぶき

でした。

1944年8月に日本軍 が、

北飛行場 (読谷補助飛行場) 

を防護のために、座喜味城

一の郭に高射砲陣地を構築

しました。

1945年4月1日に沖縄戦で

まず読谷の海岸から上陸し

た米軍は、読谷村のほぼ全

域を占領します。座喜味城

跡は、米軍基地のボーロー

射撃場の一部となります。

 

ボーロー米軍基地

2006年9月に一部鉄塔施設 (0.1ha) 

を除き全面返還されました。

 

戦後米軍の射撃場でした。

1957年の古写真です。

 

1972年(昭和47年)5月

15日、沖縄の本土復帰と同

時に国指定史跡に指定され

ました。

 

Google地図で現在の座喜味城

ボーロー基地跡は田畑や住宅に

なっています。

 

1973年に文化庁と沖縄県

の補助で、発掘調査や城壁

修理が進められました。

2000年12月2日に中城、

今帰仁城、勝連城、首里

城などとともに、「琉球

王国のグスク及び関連遺

産群」としてユネスコの

世界遺産(文化遺産)に

登録されました。

2017年(平成29年)に

続日本100名城登録され

ました。

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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