前回の続きです。
今回は32軍司令部跡から天界寺跡です。
首里城古絵図です。
今回はピンクの線に
沿って歩きました。
第32軍司令部跡への洞窟
下図現在位置付近にある32軍壕
の入口です。
第32軍解説板です。
坑道解説板です。
首里城の地下に坑道が造成
されました。米軍の空襲を
避けるには、地上の施設で
はダメだったのです。
壕内には1000名余りが雑居して
いました。
米軍が上陸すると、豪まで攻められ
て、32軍は1945年6月直前に
司令部を南部の摩文仁の丘へ撤退し
ました。
壕内の寝台と棚
司令官室跡です。
戦いで破壊された首里城城壁です。
初めの歓会門に戻りました。
守礼門を越えて歩くと、
左側に天界寺跡があります。
天界寺跡は駐車場などに
なっていました。
石垣だけが当時のものでしょう。
天界寺は第1尚氏6代目の尚泰久
が、1450~1456年に創建した
とされます。
尚氏略系図です。
天界寺は円覚寺・天王寺
とともに。尚家の菩提寺
でした。国王の元服とか
即位の際には、三ヶ寺詣
での慣わしがありました。
1945年の沖縄戦で、
天界寺も焼失し、寺域跡
は住宅地になります。
1992年に遺跡として
整備されて、首里城公園
の一部となりました。
しかし、復元はされてい
ません。
焼失前の天界寺古写真です。
天界寺跡に咲いていた
アヤメの花です。
同上
今回はここまでで、次回は玉陵です。
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