前回の続きです。
今回は久慶門から弁財天堂です。
下図⑱付近から見た久慶門です。
久慶門から外に出て、
外から撮影した久慶門です。
通用門として主に女性が使用した
といいます。また、国王が寺院を
参詣したり、浦添から以北の地方
へ外出する際にも使用されました。
門の造りは、歓会門と同じ中央が
石造アーチ門で、その上に木造の
櫓がのっています。創建は尚真王
(しょうしんおう)時代(1477~
1526年)といわれ、沖縄戦によ
る焼失後、現在の門は1983年に
復元されました。
久慶門に続く外郭の城壁です。
古い石垣の上に、復元された
石垣があります。
下図⑲付近から見た弁財天堂です。
⑳から円覚寺総門を見ると
円覚寺跡にある円覚寺総門です。
天徳山(てんとくざん)円覚寺
は七堂伽藍(しちどうがらん)
を備えた琉球第一の寺で、旧王
家の菩提寺でした。1492年に、
第二尚家の尚真(しょうしん)
王の創建で芥隠禅師の開山です。
カメラを少し右に回すと
右端に脇門が見えます。
正面石垣の中央に総門、
その左右に石造破風屋
根の脇門がありました。
1945年に太平洋戦争の
沖縄戦で焼失しました。
総門だけは復元されま
した。
門内部の様子です。
主要建物は総門から奥へ
一直線に配置されていま
した。総門をくぐり放生
橋を渡ると山門がそびえ、
その奥に重層屋根の仏殿
があり、中には三尊像が
安置され、さらにその前
に三面三方牌が置かれて
いました。仏殿の後ろの
一段高い基壇に寺内最大
の龍淵殿が建ち、先王の
位牌がまつられていまし
た。
円覚寺の古絵図です。
⑳付近から弁財天堂を見入ると
⑳付近から見た弁財天堂です。
「弁財天堂」は航海安全を司る
水の女神・弁財天を祀っていま
した。この堂は当初1502年に
朝鮮から贈られたという、方冊
蔵経(ほうさつぞうきょう)を
納めるために建立されますが、
1609年の薩摩侵入で破壊さす
ます。 1629年に修復されて、
このとき円覚寺にあった弁財天
像を安置したが、その後荒廃
したため1685年に薩摩から
新像を移しました。しかし、
これも沖縄戦で破壊されて、
その後1968年に復元されま
した。
上図G付近から見た弁財天堂です。
手前の石橋は龍淵橋といい琉球国
時代からの橋です。1502年に池
とともに築造されました。沖縄戦
で被害を受けたので、修復されて
います。弁財天堂は沖縄戦で焼失
し、復元されたものです。
琉球王国時代は明の使節を迎えて、
池に船を浮かべてもてなしたそう
です。
龍淵橋の解説板です。
「円鑑池」は1502年に造られた
人工池で、首里城や円覚寺からの
湧水・雨水が集まる仕組みになっ
ています。また、ここからあふれ
た水が隣の池「龍潭(りゅうたん)
」へ流れています。沖縄戦で破壊
されたが、1968年(昭和43)に
修復された。池の水深は3mほど
あります。
戦前の古写真と、下には
橋にあった欄干です。
ここで中国の使節が船に乗る
船着場と考えられます。
水鳥たちが遊んでいました。
池を回り込んで撮影しました。
この反対側にはこの池の水が
流れ出た龍潭(りゅうたん)
池があります。
龍潭(りゅうたん)池です。
この付近は首里城の丘に降っ
た雨水が湧き出ていたのでし
ょう。
この鳥は「バリケン」という鳥
なんだそうです。もともと南米
原産の〔野バリケン〕という野
生のカモの一種を、家畜化した
もので、タイワンアヒル、フラ
ンス鴨と呼ばれる鳥です。
食用で導入されたようですが、
野生化したようです。
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