岩櫃城(続日本100名城) 10 最終回 鎌倉将軍と岩櫃城 | みどりの木のブログ

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前回の続きです。

今回は岩櫃城(続日本100名城)

の最終回です。

今までも含めて、記述内容は観光

案内所で頂いた、東吾妻町発行の

冊子資料などからです。

 

.初めは岩櫃山の名前の起こりです。

 

鎌倉時代以前の岩櫃山は高峯山と

言いました。

鎌倉時代の初めころに、源頼朝が

三原野(嬬恋村)に狩りに来た時、

案内役は吾妻太郎助亮でした。

 

源頼朝肖像画です。

 

頼朝は吾妻川の対岸から岩山を見

て、助亮に「あの山は何と言う」

と尋ねました。助亮は「高峰山と

申します」と答えました。

 

 

すると頼朝は「まるで岩で造ったお櫃

(ひつ)のようじゃ。これからは岩櫃

山と呼んだらよかろう」と言いました。

こうして、高峯山はこれから岩櫃山と

呼ばれるようになったと、伝えられて

います。

戦国時代には岩櫃城は難攻不落の武田

三名城の1つと言われました。

 

 

.次に我妻氏が鎌倉三代将軍より名剣

 を賜った話です。

 

鎌倉幕府三代将軍の源実朝の頃に、

 

13世紀頃に制作された源実朝肖像画

(実物は甲斐善光寺境内の宝物館で公開)

 

柿澤勇人さん「鎌倉殿の13人」で源実朝役

 

岩櫃城主の我妻四郎助光は、弓の名人

として知られていました。三代将軍の

実朝が宴をしていたところ、アオサギ

が1羽迷い込み、将軍の寝殿の屋根の

上にとまりました。

将軍が「誰かあのサギを射止める者は

おらぬか」と言いました。

家臣の1人が「我妻四郎助光に申しつ

けてはいかがでしょう」と答えました。

助光はサギをめがけて矢を放ちました。

矢はサギに当たらず、サギの目をかす

めました。しかし、混乱したサギが地

上に落ちました。助光は「神殿を血で

汚してはならぬと、サギの目をかすめ

て落としました」と言いました。

将軍は「見事じゃ。この剣を与えよう」

と言って、名剣を助光に与えました。

 

これで岩櫃城の紹介は終りです。

 

5年前UPした明石城を追加しました。

 

 

次回からは長岡城の紹介です。

 

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