武田氏館(日本100名城) 6 本丸(主郭)西側 | みどりの木のブログ

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前回の続きです。

今回は本丸(主郭)の西側です。

 

下図⑯にある「さざれ石」です。

「君が代」の歌詞にあるために、

どこの神社にもある「さざれ石」

です。

4トンの重さがあり、亀石と宮司

が命名したそうで、各地の神社に

ある「さざれ石」の中でも最大に

近い大きさです。

 

 

 

「さざれ石」の解説板です。

さざれ石(細石)は小石のことで、

それが合体して「巌(いわお)と

なったさざれ石」をさざれ石と言

います。

学術的には石灰岩が雨水で溶解し、

小石がコンクリート状に凝結して

固まってできたものです。

 

ボケてますが、このような

イベントポスターもありました。

マラソン大会が一昨日終わって

います。

 

⑰付近に行くと

 

左側の甲陽武能殿に行くと

 

甲陽武能殿です。

ここで能などののイベントが

出来ますね。

 

上図⑱の名水の方に行くと

 

⑱にある「姫の井戸」です。

信玄公の娘誕生のときに、

産湯に使用したことから

「姫の井戸」と言われま

す。また「茶の湯の井戸」

とも言われ、茶会の時に

使用されたようです。

 

解説板です。

 

戦国時代の本丸配置想像図です。

 

姫の井戸を拡大した所です。

龍の口から水が出ているようで

す。

手水舎の手水鉢に花を浮かべた

ものが花手水(はなちょうず)

と呼ばれています。

コロナ禍になってから感染拡大

防止の観点から手水舎で手を洗

えない代わりに、目で見て心を

清めてもらうのを目的に、利用

者のいない手水舎に、花を飾る

花手水を設置する神社やお寺が

増えています。

 

飲用出来る水ですが、

コロナ下なので柄杓を撤去しています。

 

姫の井戸の向かい側には

武田水琴窟がります。

 

江戸時代後期に水琴窟が

考案されたようで、武田

式というのは菱紋がある

からでしょう。

 

⑱附近にはにわとり小屋もあります。

 

高天原に天照大神という太陽のような

神様がいました。
彼女には乱暴者で名高い弟の須佐之男

命がいました。諫めても反省の気配も

ない弟に手を焼き、彼女は天の岩戸に

引きこもってしまったのです。
すると、たちまち国中が真っ暗闇にな

りました。
これには神様たちも困り果て、岩戸の

前に集まると歌や踊りではやし立てま

した。そして朝が来た合図にニワトリ

達にコケッコー、コケコッコーと次々

と鳴かせたのです。
外が賑やかで、時を告げるニワトリま

でも盛んに鳴き続けています。不審に

思った天照大神が重い岩戸を少し開け

て覗きました、すると力持ちの神様が

岩戸を開けたそうです。

ということで、にわとりのいる神社が

あります。

 

⑲から⑳方向は

 

⑳の方に歩くと

 

江戸時代に築かれた天守台

があります。

 

下図から戦国時代は信玄の

子供屋敷があった所ですね。

 

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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