前回の続きです。
今回は参道を武田神社本殿までです。
武田神社の歴史
1915年(大正4年)大正天皇の即位記念に
武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に、
1916年(大正5年)には山梨県知事を総裁
とする「武田神社奉建会」が設立されます。
1919年(大正8年)には社殿が竣工して、
信玄の命日にあたる4月12日には初の例祭
が行われました。
上杉謙信を祀る上杉神社が別格官幣社だっ
たので、武田神社も県社から別格昇格運動
が対抗意識から起こりましたが、内務省が
昇格条件に求める勤皇事跡の証明が出来ず
に県社のままでした。
(上杉神社については、前回の米沢城での
解説をしています)
①から歩いて⑪の本殿が見える
所まで行きます。
①から本殿方向です。
この新橋からの参道は大正時代
のものです。江戸時代には堀と
土塁だけでした。
新橋を渡り⑫の所に行くと
武田氏館跡の石碑があります。
この右側には
左近の桜があります。
左側には右近の橘があります。
石段を上がると
下図⑬手前の石段から拝殿方向です。
⑬から①方向を振り返り見ると
参道から城下町に道があります。
この左側には
芥川龍之介の解説板があります。
新婚のころにこの付近で暮らした
芥川の話があります。
「春昼」は武田神社に参拝した時
の作品です。
「富嶽百景」も甲府時代の作品で
す。
参道左に三葉の松です。
手水舎です。
近づくと
武田菱のデザインです。
この屋根には算額があります。
何故か図形の算額がかけてあります。
参道右側にある車の祓い所です。
⑭と⑮の間から見た⑮の鳥居です。
この鳥居をくぐると
拝殿です。
カメラを左に回すと
菱和殿とその向こう側に社務所です。
右にカメラを回すと
神符授与所です。
100名城印は右端にあります。
拝殿から本殿方向です。
⑪の所に行くと
拝殿前で記念写真を撮りました。
⑪付近から本殿を見ると
⑪付近から見た中門と本殿です。
今回はここまでで、次回につづく
5年前にUPした延命寺の紅葉写真
を追加しました。
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