昨日の続きです。
今回は大手道を大手門前までです。
下図S付近から②方向です。
奈良と桜井を結ぶ上街道です。
この付近は古い商家があり、
1万石の大名ですが、ミニ
の城下町になります。幕府
からの預かりの領地があり、
1745年に芝村に陣屋を
移転した時には預かり地が
9万石ほどで、管理料を幕
府から貰って財政期に余裕
が出て移転出来たのでしょ
う。しかし、幕府領なら普
通5公5民の年貢を、なん
と7公3民近くまで上げま
した、そのため一揆が頻発
して、幕府に預かりの藩変
更願いが出されました。
出した農民は
そのため預かり地を召し上
げられました。
グーグル地図です。
織田小学校が陣屋御殿跡です。
1848年~1854年嘉永年間の古絵図
です。(奈良県立図書情報館より)
解像度の悪い絵図しか使えません。
城に近い立派な陣屋です。幕府か
らの預かり領地のおかげですね。
1848年~1854年嘉永年間の
古絵図の写しです。着色してます。
(奈良県立図書情報館より)
②の所です。
カメラを左に回すと
下図②から③方向です。
②と③の中間点です。
③付近に行くと
下図のように堀と土塁があり
ましたが、今はありません。
カメラを右に回すと
ここで右に曲がり芝公民館
の方に行きます。
③と④の間にある芝公民館です。
ここから堀が埋め立てられてい
ます。
上図④から③方向です。
カメラを右に回すと
下図④から⑤方向です。
⑥に大手門がありました。
④と⑤の中間地点付近です。
堀の内側には土塁がありました。
堀を掘って出た土を積んだ土塁
です。
土塁は薄茶色に塗りました。
⑤から⑥方向です。
大手門跡の所には下写真の
慶田禅寺に移築保存された
大手門がありました。
大手門だった慶田禅寺山門です。
門の内側から見ると
門の横に番所らしきもの
があります。
大手門が飾りのように設置
されています。普段は門の
右側の道を通行したのでし
ょう。
今回はここまでで、明日に続く
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