昨日の続きです。
今回は大手門前から陣屋御殿門と
石垣です。
下図⑥の大手門跡を、江戸時代の
姿に復元してみました。土塁は堀
を掘った土で造成しています。
⑥の左側に残る古い石垣です。
土塁は消滅しています。
幕末嘉永年間の芝村陣屋古絵図
です。画質の粗い絵図しか公開
されていません。
①まで歩き振り返り⑥方向
を見ると
下図①から⑥方向です。
道の両側に武家屋敷がありました。
下図①から⑩の正門方向は
桜が満開です。
⑩から見た織田小学校正門です。
藩主御殿表門を模擬復元してい
ます。立派な門です。
正門の所に行き校内を撮影しま
した。残念ながら校内に遺跡が
残っていません。
門から見た校内です。
この反対側は
武家屋敷風の長屋門の家があります。
この図から藩主御殿内には
政庁と藩主私邸に池のある
庭が見えます。
正門右側には忠魂碑と
織田小解説板があります。
織田小解説板です。
上街道は上ツ道(かみつみち)と言われ、
古代日本における官道のひとつで、近世
日本において同官道を元にした街道であ
る。飛鳥時代に奈良盆地を南北に縦断す
るために整備された道で、現在の奈良市
と桜井市を天理市経由で結んでいます。
前回のミニ城下町を通る道です。
補修されていますが、石垣が江戸時代の
ものです。
カメラを右に回すと
正門前を横から攻撃出来る
折れが塀にあります。
古絵図では確認出来ません。
石垣の西側端に行くと
上図⑪付近から⑩方向です。
この角の算木積石垣は
矢穴に矢と呼ばれる楔(くさび)
を打ち込み、石を割っています。
今回はここまでで、明日に続く
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