昨日の続きです。
今回は城下町から西門までです。
西門は大手門にあたる門です。
柳本陣屋址で咲いていた桜です。
逆光でマクロ撮影しています。
下図②付近から⑤方向です。
上が北のグーグル図です。
下が北の1940年に描かれた
江戸時代後期の絵図です。
下図②付近から③方向です。
③の方に行くと
下図③付近です。
高い塀のある所は織田家屋敷だった
(地元の方に聞きました)そうです。
藩主の親戚かもしれません。
今は分割されて他家屋敷になってい
ます。
上図④付近から②方向です。
附近の家に咲いていた紅梅です。
下図④付近から使者溜方向です。
使者溜まであった堀が埋め立てら
れています。
下が北です。
②からさらに北(下)に行くと
大きな町家が並んでいます。
これは造り酒屋さんだったようです。
ウナギの寝床のように
奥に土蔵があります。
ここで大手道に戻り
⑤と⑥の間付近から⑤方向
を見ると(下が北)
大手道です。
⑤の右側にも道が出来ています。
この反対側は
西門の方に歩くと
緩やかな上り坂になっています。
⑥付近から西門方向です。
使者溜前の石垣が残ります。
⑥付近から使者溜の方を見ると
使者溜前の石垣が見えます。
この石垣は陣屋の石垣です。
西門には下図にあるような門が
あったと言い伝えられます。
西門と伝わる門です。
廃藩後に庄屋の家の門になったと
伝えられています。古写真とか証拠
が無いのですが、信ぴょう性が高い
です。
藩医の門だったという説もあります。
現在は庄屋の家とともに解体されて、
この門の部材は、柳本村の倉庫で
保管されています。
現在2022年3月17日の様子です。
下図⑥附近の使者溜前石垣から
④方向です。周濠の堀が埋め立
てられています。
下図よりもともと堀は古墳の周濠で
あったようです。
現在地にある黒塚古墳図です。
古墳周濠を堀として利用してい
ます。
今回はここまでで、明日に続きます。
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