柳本陣屋 1 歴史 | みどりの木のブログ

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今回から奈良県天理市にある柳本陣屋

の紹介です。

2022年3月17日に訪問しました。

 

陣屋址で咲いていた桜です。

 

陣屋址の周辺地図です。(グーグル地図)

 

黒塚古墳を利用した柳本城は楊本氏

が室町時代に築城したと考えられます。

1384年の「長川流鏑馬日記」にもそ

の名を確認することができるそうです。
楊本氏は十市氏が勢力を伸ばすにつ

れて没落します。

1572年には完全に十市氏の勢力下

に入りました。十市氏は筒井氏や松永

久秀に臣従して、時の情勢で主君をか

えていました。

1585年に筒井定次の転封に従って、

十市氏も伊賀上野へと移りました。

1600年の関が原の戦いで織田長益

隊約450名は、西軍の有力武将の首

級を2つ取るという活躍を見せたので、

戦後に家康からその功績を認められ、

長益は大和国内で3万2000石、長男

長孝は美濃野村に1万石を与えられ

ました。

 

織田家家系図です。

 

宇陀松山は信長次男の信雄で

したが、柳本藩は信長の弟だっ

た、織田長益(有楽斎)の5男

尚長から始まります。(上図)

 

織田長益(有楽斎)肖像画です。

 

1615年に織田信長の弟だった織田

長益(有楽斎)の五男尚長が1万石の

分知をうけて、柳本藩を立藩しました。

寛永年間(1624~1644年)になっ

て、黒塚古墳のある柳本城址に陣屋

を築いています。

 

柳本陣屋絵図です。(下が北)

西門のある道が大手道になります。

 

1830年に陣屋が全焼して、その後

幕末に再建されています。

藩主は幕末には城主格になり、13

代信及(のぶひろ)の代に明治維新

を迎えました。

藩邸は再建されて新しかったので、

柳本小学校の校舎として利用されて、

後に、橿原神宮へ移築されています。

 

橿原神宮文華殿として利用されています。

現在は補修中です。

 

下図①付近から見た大手道と

陣屋御殿跡の柳本小学校です。

 

下が北で右側が西です。

 

大手道にある西門は

廃藩後に村の庄屋の門になりま

した。

 

西門とされる庄屋の門です。

古絵図とは形が違いますね。

 

西門と言い伝えられた門です。

現在は解体されて部材が村の

倉庫に保管されています。

藩医の門という説もあり、はっ

きりしないので、文化財の指定

を受けていません。

 

解体された現在の姿です。

 

今回はここまでで、明日に続く

 

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