宇陀松山城(続100名城) 15 春日門跡から西口関門まで | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は春日門跡から西口関門までです。

豊臣時代に整備された大手道を歩き、

西口関門まで行きます。

 

下図⑦付近から⑤の春日門方向です。

春日門付近で土地が高くなっています

が、これは宇陀川の河岸段丘と考えら

れます。

 

豊臣時代の1594年写の

古絵図です。

この時代から城割されて廃

城になるまで、宇陀松山城

の大手道でした。

町人町の外側に造られた、

西口関門は惣構の門に相

当していたのでしょう。

 

上図⑥付近から⑦方向です。

ここからこの大手道を西口関門

まで歩きます。

 

 

 

下図⑧から⑨方向です。

交差点に石の道標があります。

 

交差点を越えて⑨の方に行きます。

 

 

交差点を越えたところです。

右側にある間口の広い商家

の解説板は

 

植田家「かぎや」とあります。

木材や油・米穀の商いをする店です。

 

下図⑨から⑩方向です。

前方は愛宕神社です。

 

 

 

上図⑩から南(右)方向です。

上図にある恵比寿神社です。

織田家が1695年に移封さ

れてから、宇陀は天領となり

商業が栄えました。恵比寿

さんは商いの神様なので、

上図の豊臣時代よりも立派

になっています。

 

下図⑩から⑪方向です。

 

 

 

上図⑪から⑫方向です。

 

左に回り込むと

 

内側から見た西口関門です。

 

西口関門の解説板です。

豊臣時代から同じ場所に

あるようです。

 

下図⑬付近から撮影しました。

 

 

 

上図⑭から⑬方向です。

右端に解説板があります。

 

西口関門解説板です。

字がかすれてほとんど読めません。

 

上図⑮付近からの撮影です。

カメラを少し左に回すと

 

 

カメラを右に回すと

 

宇陀川と商家の土蔵が見えます。

 

1685年以降の織田家時代の

古絵図です。(上が北)

黄色い所は武家地です。

西口関門には木橋があります。

 

今回はここまでで、明日に続く

 

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