昨日の続きです。
今回は春日門跡から西口関門までです。
豊臣時代に整備された大手道を歩き、
西口関門まで行きます。
下図⑦付近から⑤の春日門方向です。
春日門付近で土地が高くなっています
が、これは宇陀川の河岸段丘と考えら
れます。
豊臣時代の1594年写の
古絵図です。
この時代から城割されて廃
城になるまで、宇陀松山城
の大手道でした。
町人町の外側に造られた、
西口関門は惣構の門に相
当していたのでしょう。
上図⑥付近から⑦方向です。
ここからこの大手道を西口関門
まで歩きます。
下図⑧から⑨方向です。
交差点に石の道標があります。
交差点を越えて⑨の方に行きます。
交差点を越えたところです。
右側にある間口の広い商家
の解説板は
植田家「かぎや」とあります。
木材や油・米穀の商いをする店です。
下図⑨から⑩方向です。
前方は愛宕神社です。
上図⑩から南(右)方向です。
上図にある恵比寿神社です。
織田家が1695年に移封さ
れてから、宇陀は天領となり
商業が栄えました。恵比寿
さんは商いの神様なので、
上図の豊臣時代よりも立派
になっています。
下図⑩から⑪方向です。
上図⑪から⑫方向です。
左に回り込むと
内側から見た西口関門です。
西口関門の解説板です。
豊臣時代から同じ場所に
あるようです。
下図⑬付近から撮影しました。
上図⑭から⑬方向です。
右端に解説板があります。
西口関門解説板です。
字がかすれてほとんど読めません。
上図⑮付近からの撮影です。
カメラを少し左に回すと
カメラを右に回すと
宇陀川と商家の土蔵が見えます。
1685年以降の織田家時代の
古絵図です。(上が北)
黄色い所は武家地です。
西口関門には木橋があります。
今回はここまでで、明日に続く
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