昨日の続きです。
今回は豊臣時代の登城道(下図赤い線)
を下ります。豊臣時代以降の江戸時代に
城割されるまで大手道ですね。
豊臣時代の多賀秀種が
1592年より城主となり、
本格的な改修・整備をし
た宇陀松山城(秋山城)
です。
この時代に出来た登城
道(上図赤い線)を下り、
春日神社まで歩きます。
雀門から出た所です。
右手にある横堀です。
下図右下角に描かれています。
宇陀松山城復元CGです。(千軒舎より)
さらに下りていくと
両側には土塁があり、
上から攻撃されそうです。
右に曲がっていくと
下図⑨付近です。
赤い線に沿って歩きます。
左側の舗装部は駐車場
です。
黄色い線に沿って下山します。
⑨には小さい駐車場もあります。
木や草を除去していたので、
城跡が分かり易く助かりまし
たが、ここからは木や草が
ありますので、暗くなります。
道に倒木がありました。
右側は春日神社の石垣です。
春日社は城の郭としての
機能もありました。当時の
武士たちは神社を焼くこと
に、罰当たり感を持ってい
ました。
赤い線に沿って歩いてきました。
ここに宇陀松山城跡石碑があります。
この反対側は
春日神社の手水舎があります。
今回はここまでで、明日に続く
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