1枚の写真を追加したので、再UPして
います。
昨日の続きです。
今回は松永家臣屋敷跡の多聞町です。
下図⑧から⑨方向です。
右の川は多聞城堀代わりの
佐保川です。
グーグル地図です。
グーグル多聞城全体図です。
多聞町は松永家臣屋敷跡です。
江戸時代になり奈良奉行所が
現在の奈良女子大の所に出来
て、そのために多聞町には奈良
奉行所の与力や同心屋敷が建
てられました。今も橋本家など
3軒がその子孫にあたります。
(多聞城のあとは奈良奉行所
の紹介をします)
進むと
下図③の所です。
左端に多聞町の表示があります。
カメラを左に回すと
⑨の上にある家の角に地蔵様
がたくさん祀られています。
墓石ではなく地蔵様です。
向かいの家の塀に
埋門がありました。
左に曲がると
上図⑩から⑪方向です。
直進すると
上図⑫付近です。
この付近が江戸時代に奉行所の
与力だった武家屋敷です。
居住されているので非公開にな
っています。
さらに進むと
引き返して⑪から⑬の所に行くと
上図⑬の所です。
ここを左に曲がると
⑬から⑭方向です。
⑭から⑮方向です。
ここにもお地蔵さまが
祀られています。
祀られているお地蔵様です。
南無阿弥陀仏と書かれた石碑
もあります。浄土教の教えなの
で、極楽に行きたいという願い
が、このような石仏を造らせた
のでしょう。
下図⑮から⑰方向です。
上り坂になっています。
ここが大手道でしょう。
この道の両側に松永家臣の
屋敷があったのでしょう。
⑰の所に行くと
⑰の所です。
石段の上が多聞山城本丸跡で、
現在の若草中学です。
正門横にある解説板です。
若草橋から見た多聞山城でっす。
⑯から⑮方向の写真です。
(グーグルストリートビューより)
松永の時代にここに橋が
あったか分かりませんが、
大手道であった可能性が
高いです。
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