茨木市立文化財資料館 3 後編 最終回 | みどりの木のブログ

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昨日の続きで最終回です。

茨木市立文化財資料館の一部の資料

を紹介しています。

今回は中世からです。

 

茨木城周辺の国人分布図です。

 

荘園の管理をしていた荘官たち

は、近隣の荘官と土地や水問題

で揉め事が多発します。10世紀

頃から中央貴族に頼らず、荘官

たちは城館を造り、武装して争う

ようになります。中央貴族・朝廷

が制御出来ない豪族で、国人と

言うようになります。

弱小な国人たちは中央貴族や、

有力な国人に頼ります。源氏や

平氏がその代表です。

 

平家物語に出てくる、茨木の武士

太田太郎頼基は源義経と戦って

います。太田太郎は茨木村を含む、

太田郡を支配した国人だったので

しょう。

源頼朝は頼りにならない国司や

郡司を助けると言いながら、自分

の支配下にある、守護・地頭を設

置させます。守護・地頭はしだいに

中央貴族・寺社の荘園を奪うよう

になります。しかし、鎌倉幕府が

出来て、世の中に秩序が出来ま

した。

 

初めは国人茨木氏の城館だった

茨木城です。

 

茨木遺跡発掘写真です。

 

展示されている欄間です。

 

キリシタンの高山右近が茨木の

山間部を支配すると、キリスト教

が広まります。

 

高山右近肖像画です。

高槻城址資料館の展示品です。

現代の芸術家作品です。

 

撮影禁止のフランシスコ。ザビエル像

ですが、パンフレットからの引用です。

この有名なザビエル像は茨木市で、

北部の千提寺の民家に大切に伝え

られたものです。江戸時代はキリスト

教が禁止でしたが、隠れキリシタン

として信仰が続いていました。

 

山間部の村絵図です。

お米がほとんど収穫出来ない

ので、林業が中心でした。

 

茨木市の江戸時代町場は茨木村

と、西国街道沿いの郡山宿があり

ました。

 

1800年頃の摂津名所図会です。

江戸時代の茨木神社が描かれて

います。

移築の茨木城搦手門が描かれて

います。

 

これで茨木城の紹介は終りです。

明日は1月2日に初詣で行った、

赤坂上山神社です。

 

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