昨日の続きです。
今回は三の丸上段から洗心亭です。
三ノ丸下段から上段に上がる、
下図⑦付近石段です。
三ノ丸御殿の左側には「本町谷御庭」
と書かれた庭園があります。大名庭園
とも言える庭です。
本丸への登りはこの庭園から登り、
下りは上図の赤い道(登城路)で
下ります。
三ノ丸上段にあがると
上図⑧付近から三ノ丸上段です。
ここは藩主居所でした。
丹羽氏以前の畠山氏なども、
ここに館があったと考えられ
ます。
さくらまつりの提灯があります。
ライトアップも行われています。
今年は桜の咲く時期が早過ぎ
ました。
僅かですがまだ咲いている
桜もありました。
下図⑩付近の相生の滝です。
昭和9年に竣工した人工の
滝です。二合田用水から水
を引いています。
右側にある解説板です。
下図⑨から見た霞池です。
霞池前の藤棚は高村光太郎の
妻:智恵子の生家にあった藤を
移植したものです。
城下町にある造酒屋の
智恵子生家です。
(ガイドさんの指が写りました)
高村千恵子の古写真です。
(52歳で病没)
手前平地は三の丸上段です。
山の中腹に洗心亭が見えます。
ズームUPすると
ズームUPすると霞池の向こう
斜面に洗心亭が見えます。
洗心亭の解説板です。
洗心亭は1600年代半ば頃に創建
されました。
3間続きの数寄屋風茶室です。
1837年に背後の崖崩れで、
阿武隈河畔に移築されましたが、
このために戊辰戦争で焼失せず
に残りました。
明治40年にもとのこの場所に
再移築されています。
二本松城唯一の江戸時代建築
物です。
下図⑫付近から見た洗心亭です。
ここから先は入れませんでした。
いただいたパンフレットから引用
3間続きで、右端の部屋が床の
間のある奥の間です。
最後に二本松市のWebページ
からお借りした桜写真です。
箕輪門や三ノ丸下段がよく見えます。
畠山氏時代はおそらく三の丸上段に館
があり、本丸は詰城だったのでしょう。
背後に見える山は安達太良山ですね。
丹羽氏の時代に法面を埋め立て、下段
を拡張して石垣で崖崩壊をくい止めま
した。
構造が一昨日崩落した熱海の地形と
似ています。両側に尾根が広がり、そ
の間の谷に三の丸下段が造成されて
います。土留めや排水をきっちりして
いる(前回紹介)ので、約400年も保
たれているのでしょう。
今回はここまでで、明日に続く
読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。
希望があれば、読者相互登録出来ます。
毎日午後8時半~9時頃に更新しています。
登録では「相手わかるように」に設定して読者登録してください。
読者様のブログは拝見に行き、「いいね」やブログ村・ブログラン
キングは出来るだけ押しに行きます。
Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
お手数ですが、よろしく。ぽちっと押すだけ