人吉城(日本100名城) 2 西外曲輪1 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は人吉城の西外曲輪です。

 

球磨川と胸川合流地点の大俣橋の上から

見た人吉城(グーグルストリートビュー)

 

上空から見たところです。(グーグルより)

この平地部分が西外曲輪です。

ここは上級武家屋敷があった所です。

 

現在地にある案内板です。

この⑦から⑮の下側が西

外曲輪です。

 

西外曲輪部分です。

この写真番号で①が人吉歴史館です。

 

上写真①から撮影した人吉歴史館です。

 

①の辺りにある解説板と顔出しです。

 

歴史解説板拡大図です。

 

右側にある模型地図です。

 

歴史館の内部です。

球磨郡の巻物絵図が展示されています。

初代長頼公が人吉城の修築を始めたと

き、城の西南隅から三日月形の文様の

ある石を発見しました。この石を繊月石

といい、そのために人吉城を「繊月城」

または「三日月城」と言うようになります。

その繊月石が展示されています。

 

月の形がある繊月石です。

青い照明なので、青い空の色調に

なっています。

 

地下に降りると

 

地下にある大井戸です。

 

ガイドさんの解説中です。

 

 何のために造られたのか明確に

分かりませんが、水浴のためでは

ないかと言われます。

 

右上に人吉温泉元湯があります。

弱アルカリ性のお湯で、源泉は約50度

だそうです。地下深くまで掘ると50度も

の温泉が出るんです。

とういことで、冷泉として湧き出したの

で、温泉として利用したと考えられます。

 

江戸時代初期に、家老の相良清兵衛屋敷

とその息子の屋敷があり、約2万2千石の

人吉藩で8千石ほども家禄がありました。

なので、専横を極めたため、藩は幕府に

訴えて、西外曲輪のすべての門を閉めて

1640年に焼き討ちにして討伐したそうで

す。「お下の乱」と言われています。

このあと、この地下室は埋められました。

もう1つ上図②の所にも地下室と大井戸

がありました。

 

②の建物が見えます。

遠くに見える石垣の上が藩主御殿

のあった所です。

 

②の所にある発掘された大井戸です。

ガラス張りで反射して見難いです。

すいません

 

②のところにある解説板です。

写真部分を拡大すると

 

水浴用に使われたと考えられる大井戸

です。用途は水浴以外にも洗濯とかが

考えられます。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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