熊本城 8 西大手櫓門から宇土櫓 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は西大手櫓門から宇土櫓です

 

地震で崩れた当時の西大手門入口

写真です。

 

西出丸内から見た櫓が撤去された

西大手門です。

安全のために石垣に金網が貼られ

ています。

被災状況の写真が展示してあります。

 

この左側は

 

南大手櫓門が見えます。

ここはまだ解体されていません。

 

 

南大手櫓門です。

かなり傷んでいます。

近くに寄ると

 

左側が南大手櫓門です。

右の門の中は奉行丸です。

奉行丸は江戸時代に奉行所が置かれ

ており、肥後の政治の中心だった場所

です。

 

さらに進むと

 

行幸橋から行幸坂がここまであります。

明治天皇行幸で馬車が通った道です。

 

この反対側は

 

宇土櫓が見えます。手前は西出丸です。

石垣の上には多門櫓がありましたが、

倒壊したので撤去されました。

この宇土櫓は加藤氏時代のもので、

西南戦争でも唯一残った櫓で国重要

文化財です。今回の地震にも耐えた

櫓です。

 

地震前の宇土櫓です。

 

第2次大戦前昭和になって修理されました。

 

五階櫓の中でも、「三の天守」とも呼ばれる

宇土櫓(うとやぐら)は、3重5階地下1階で、

熊本城では大小天守を除いて最大の櫓です。

高さ約19mあり、近世以前に建造された天

守や櫓との比較では姫路城、松本城、松江

城に次いで4番目の高さです。最上階に外

廻縁を持ち、清正の創建した初代天守では

ないかという見方もあります。平成元年の

修理の時、2重目と3重目で建築方法で違

いがあるのと、3階部分の増設が判明して

います。
寛文年間に作成された熊本城絵図には、

「平左衛門丸五階櫓」と記されています。

平左衛門丸には加藤平左衛門の屋敷が

あり、平左衛門丸に建てられていた櫓に

は「宇土三階櫓(平左衛門丸二重櫓)」な

どのように、「宇土」を冠していたことが、

享保から延享期成立の『肥後録』にあり

ます。宇土櫓も同様の由来で名づけられ

たようです。

 

 

今日はここまでで、明日に続きます。

 

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