昨日の続きです。
今回は加藤神社と西大手櫓門です。
下図⑩の辺りで⑫方向への通路です。
戌亥櫓が見えます。
現在地にあった案内地図です。
上図⑫の辺りです。この道の先に
加藤神社があります。
堀の石垣もたくさん崩れています。
加藤神社鳥居です。
本殿です。
加藤神社の元は慶長16年(1611年)の、
清正の歿後に清正を祀った浄池廟でした。
1614年に火災で焼失した本妙寺が浄地
廟に移されました。
神仏分離により明治元年(1868年)に、
浄地廟の儀式を神式で行うこととなり、同
4年、浄池廟・本妙寺より神社を分けて、
熊本城内に社殿を造営して、錦山神社
(にしきやまじんじゃ)とします。場所は
大天守、小天守、宇土櫓に囲まれた平
左衛門丸です。同年、大木兼能と金官を
合祀した。同7年、熊本城内に熊本鎮台
が置かれるのに伴い、城外の新堀町
(現在の京町一丁目)に遷座し、翌8年
県社列格、同10年2月に西南戦争によ
り社殿を焼失、明治17年に再建されま
した。明治42年(1909年)に錦山神社
から加藤神社に改称されました。
続いて今回の特別公開部分
に行きます。
下写真は⑦の所からです。
⑦から西大手門方向です。
土橋を渡る途中で左側を見ると
堀と戌井櫓が見えます。
解説板です。
右側を見ると
見える櫓は未申櫓です。
元太鼓櫓跡です。
崩落防止の安全対策がされています。
元太鼓櫓は被災したので、現在は撤去
されています。上が被災前の姿です。
西大手門跡です。
被災した櫓門や塀・石垣が撤去されて
います。平成15年に木造で復元され
た所でした。西大手門は城の玄関に
当たるところです。
西大手門の被災前と後の写真です。
現在地にあった案内地図です。
西大手門の解説板です。
写真を大きくすると
平成15年に木造復元された西大手櫓門です。
西大手門をくぐり西出丸内から撮影
しました。
今回はここまでで、明日に続きます。
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