昨日の続きです。
昨日博多側の水堀が幅80mと書きましたが、
幅60mが正解でした。訂正しておきます。
今回は東門跡周辺です。
下図①から見た東門跡周辺です。
解説板の一部分を拡大しました。(現地資料)
東門跡付近の水城です。(現地資料)
カメラを右に回すと
博多側から見た水城跡です。
下図の外堀側(博多側)です。
内側の大宰府側の川から水を引いて
この幅60m堀跡を水で満たしました。
水城断面図です。(現地資料)
右端が外堀跡です。
左端が上成土塁です。
内側の下成土塁から上成土塁を見た
ところです。
現地の解説板です。(現地資料)
外堀と水城の想像図です。
東門跡の所に行くと
下図②が江戸時代からの礎石です。
解説板です。
④は門の左右にあった石垣の石です。
②の礎石です。
江戸時代は90度回転して、道路と
平行でしたが、平成28年の整備で、
本来の向きに代わっています。
礎石②の解説板です。
下図の下③に書かれた瓦窯跡です。
③に瓦窯跡
唐・新羅軍が攻めてくる方向からです。(現地資料)
大宰府側から見た水城です。(現地資料)
律令政府機関を表すときは大宰府と「大」の
字を使いますが、太宰府市など行政名は「
太」の字を使います。
上図の水城館です。
水城の資料を展示しています。
無料で見学できます。
右端には万葉歌碑があります。
今回はここまでで、明日は水城館からです。
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