水城 3 水城館 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は水城館の紹介です。

一部のみの紹介ですから、興味のある方は

是非とも現地の水城館を見学してください。

 

土塁で覆われた、下図②の水城館です。

 

 

道路を渡り近づくと

 

水城館の入口です。

休館日は月曜日です。

 

入口の前には万葉広場があります。

 

東門跡で歌われた、大伴旅人と児島の

和歌です。拡大すると

 

大伴旅人の歌です。

 

万葉集の歌解説板です。

730年に大伴旅人は都に帰ることに、

この時代はまだひらがなが無いので

原文は漢文です。都に大納言として、

出世して帰っった旅人は、翌年7月に

66歳で亡くなります。

 

水城の解説板です。

水城の歴史を写した動画も見れます

 

大宰府が出来た当時の想像画です。

東門からは博多港に官道が延び、

西門からは迎賓館であった筑紫館

(鴻臚館)に延びています。

 

内堀から見た想像図です。

川の水を堀に流しています。

 

江戸時代も東門跡を通る街道が、

にぎやかだったという筑前名勝画譜です。

 

江戸時代後期の通行風景です。

 

このほかに築城のようすは

 

版築工法(土と砂を積み重ねる工法)と、

やわらかい地盤は敷そだ工法(生木の

枝葉を敷く)で造られました。古代韓国・

中国で同じ工法があります。ここも基肄

城同様に、帰化百済人技術者が指導

したのでしょう。

 

川の水を左の内濠にためて、いくつかの

導水管(木樋)を地中に通し、右側の外堀

に流しています。木樋(もくひ)の大きさは

内法が幅1.2m・高さ0.8m、厚さ30cm

の木材が使われています。

 

西門の方も現在は切通のようになっています。

礎石などは周辺の宅地で再利用されています。

 

664年に水城が造られましたので、その後

100年たち水城関連施設が修理されました。

東門近くに8世紀中頃の瓦窯跡が発掘され

ています。

 

③にその瓦窯跡があります。

 

修理の時に造られた瓦窯跡です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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