吉田郡山城6 毛利元就墓と一族の墓 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は毛利元就墓と毛利一族の墓です

 

下地図⑮の所に元就自筆からコピーした名前

の旗がありました。

 

⑮の左の⑲の所には毛利元就墓への

参道があります。

 

下地図⑲の所です。

ここから⑳へ歩きました。

 

途中に家臣の墓がありました。

 

毛利家側用人の墓です。

 

地図⑳の所です。

毛利元就と一族墓所の洞春寺跡です。

洞春院は元就の戒名です。

 

洞春院は1573年に孫の輝元(隆元の長男)が

創建した臨済宗のお寺です。のちに毛利氏の

本拠地に移転しています。

 

階段を上ると

 

地図⑳の辺りです。

 

墓所の解説板です。

 

石段を上り

上図2・3・4・5の一族墓から

 

下図の左から1・2・3・4の順です。

 

現地にある一族墓の解説板です。

郡山城下と城内にあった墓を明治

2年(1869年)にここに移葬され

たものです。

 

上図1・2・3の墓です。

 

名字はすべて大江になっています。

 

さらに階段を上がると

 

1571年75歳で亡くなった毛利元就の墓です。

墓標には、枯れていますが「ハリイブキ」が植え

られています。

 

灯ろうには菊の紋がありますが、これは

大江氏が元は皇室と姻戚関係であった

ことからです。古代の氏族である土師氏

が源流とされ、桓武天皇が即位10年と

なった791年に、縁戚関係にある土師

諸上らに大枝の姓を与えたのが始まり

で、866年(貞観8年)には大枝音人が

姓を改め、大江音人となりました。

内側の石垣内にある元就の墓は、江戸

時代に広島藩浅野家により保護されて

いました。左端の手はガイドさんの手で

す。

 

毛利元就の肖像画です。

 

今日はここまでで、明日に続きます。

 

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