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今回は大阪泉北にある小谷城の紹介です。
山城探訪会に参加された人の中には滋賀県
の小谷城(おだにじょう)と勘違いして参加し
た人がいました。
西本願寺堺別院から小谷城に移動しました。
下図①の所です。②方向を撮影しました。
堀に見立てた小川の橋を渡ると三の丸に
相当するところで、長屋門の中が二の丸
に当たります。
グーグルより引用の小谷城です。
②の所です。
騎馬のまま出入出来る、「馬上門」と呼ばれる門
です。和泉伯方藩1万3500石の渡辺家の陣屋
搦手門(裏門)を、ここに移築した長屋門です。
この周辺は4000石程度の石高があります。
小谷家の家紋入りの瓦です。
門の中に入ると
③の所です。
左端は新しい住まいですが、母屋も北側の
部屋は現在も使っているそうです。
この母屋のあるところが二の丸に当たります。
植木の手入れ中です。
母屋は茅葺でしたが、今は銅板葺きです。
右側に式台のある出玄関があります。これ
は伯方藩藩主専用の玄関でした。
式台の部分をズーム撮影しました。
火縄銃・馬具などが展示してあります。
玄関から出玄関を撮影しました。
母屋間取り想像図です。
室内撮影禁止なので描いてみました。
出玄関式台から外側を撮影しました。
解説板です。
小谷家は源平の時代に、源頼朝の助命を
した、平清盛の池継母だった池禅尼の実子
頼盛の一族だったので助命されました。
その後、仁和寺寺領だった、ここ若松荘の
地頭となります。
戦国時代は織田信長に攻められて落城し
ますが、城主一族の小谷家がここに住み
着いています。
江戸時代は豪農の大庄屋で経済力があり、
長屋門は廃藩置県後なので、競売されたも
のを購入したのでしょう。
長屋門は展示室になっています
長屋門にある、米蔵だった部屋の壁の厚さは
60cmもあります。また天井まで漆喰を塗って
います。現在は農機具の展示場です。
④の方に回り込み、本丸である山頂へ行きます。
今日はここまでで、明日後編に続きます。
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