奈良県の山城跡と今井町を見学に行きまし
た。そのうちまたUPします。
昨日の続きです。
今回は主屋内部と庭です。
⑫の廊下から見た⑰の茶室です。
表門の長屋が茶室になっています。
旧今井邸はその敷地面積が479坪
(約1581平方メートル)あります。
茶室が2室もあります。
案内図です。
この茶室は主屋内にあります。
仏間裏の内廊下から見た茶室です。(暗いのでブレました)
⑬から見た内蔵の入口です。(暗いのでブレました)
外の庭から見た内蔵です。
⑭の展示室1です。
⑮の展示室3にある床の間です。
⑮の展示室3とその奥に仏間です。
展示室4から庭を見たところです。
展示室4から見た庭です。
⑪の部屋です。
⑪の部屋にある旧式の大きいラジオです。
⑪から④方向を見たところです。今村文吾の人形が置いてあります。
文吾さんは幕末勤王の天誅組にいた、伴林光平との親交があります。
土間にある人形は左が今村荒男さんで、大阪大学総長になった人で
す。右の人形は富本憲吉さんで陶芸家として有名です。2人とも故人
です。安堵町には富本憲吉さんの実家があり、現在はホテルになっ
ています。
今村家の系図です。
庭の方に出ました。
⑯の所です。右は⑰の茶室です。
⑯から⑰方向を見ると
茶室です。
室内は
幕府に追われた、天誅組の伴林光平が逃げる途中で、
この丸窓から、文吾への手紙を投げ入れたといわれま
す。伴林光平は生駒で捕縛されて、京都の六角獄舎で
打ち首になりました。享年52歳でした。
伴林光平の書です。
今村勤三は大阪府に吸収された、奈良県を再設置に
尽力した、奈良県初代議会議長です。文吾の跡を継
いで今村家当主となりました。
現在大阪都構想が大阪維新の会から提案されてい
ますが、周辺の県は上の経緯から反対するでしょう。
庭にある今村勤三の記念桜です。
パンフレットより引用した、満開の「勤三桜」です。
中央が庭にある勤三桜です。
庭の写真です。
水運盛んな江戸末期の、安堵町付近の大和川です。(パンフレットより引用)
これで安堵町歴史民俗資料館の紹介を終わります。
明日からは環濠集落の奈良県大和郡山市稗田町の紹介です。
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