安堵町歴史民俗資料館の紹介4 最終回 主屋と庭 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日2018年11月11日は天候もいいので、

奈良県の山城跡と今井町を見学に行きまし

た。そのうちまたUPします。

昨日の続きです。

今回は主屋内部と庭です。

 

⑫の廊下から見た⑰の茶室です。

表門の長屋が茶室になっています。

旧今井邸はその敷地面積が479坪

(約1581平方メートル)あります。

茶室が2室もあります。

 

案内図です。

 

この茶室は主屋内にあります。

仏間裏の内廊下から見た茶室です。(暗いのでブレました)

 

⑬から見た内蔵の入口です。(暗いのでブレました)

 

外の庭から見た内蔵です。

 

⑭の展示室1です。

 

 

⑮の展示室3にある床の間です。

 

⑮の展示室3とその奥に仏間です。

 

展示室4から庭を見たところです。

 

展示室4から見た庭です。

 

⑪の部屋です。

 

⑪の部屋にある旧式の大きいラジオです。

 

⑪から④方向を見たところです。今村文吾の人形が置いてあります。

文吾さんは幕末勤王の天誅組にいた、伴林光平との親交があります。

土間にある人形は左が今村荒男さんで、大阪大学総長になった人で

す。右の人形は富本憲吉さんで陶芸家として有名です。2人とも故人

です。安堵町には富本憲吉さんの実家があり、現在はホテルになっ

ています。

 

今村家の系図です。

庭の方に出ました。

 

⑯の所です。右は⑰の茶室です。

 

 

⑯から⑰方向を見ると

茶室です。

室内は

 

幕府に追われた、天誅組の伴林光平が逃げる途中で、

この丸窓から、文吾への手紙を投げ入れたといわれま

す。伴林光平は生駒で捕縛されて、京都の六角獄舎で

打ち首になりました。享年52歳でした。

 

伴林光平の書です。

 

今村勤三は大阪府に吸収された、奈良県を再設置に

尽力した、奈良県初代議会議長です。文吾の跡を継

いで今村家当主となりました。

現在大阪都構想が大阪維新の会から提案されてい

ますが、周辺の県は上の経緯から反対するでしょう。

 

庭にある今村勤三の記念桜です。

 

パンフレットより引用した、満開の「勤三桜」です。

 

中央が庭にある勤三桜です。

 

庭の写真です。

 

 

 

水運盛んな江戸末期の、安堵町付近の大和川です。(パンフレットより引用)

 

これで安堵町歴史民俗資料館の紹介を終わります。

明日からは環濠集落の奈良県大和郡山市稗田町の紹介です。

 

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