今回から稗田(ひえだ)環濠集落の紹介です。
今日は
下図①から撮影の、賣太(めた)橋と賣太神社方向です。
賣太社名の由来として、猿女君が天皇より多くの
養田を賜り、その田を猿女田と呼び、その持ち主
を猿女田主と呼んでいたため、後に「猿」の字を
略して女田主と呼ぶようになり、その祖神を祀る
この神社を「賣太神社」と称する事になったとい
う説が有力です。
江戸時代までは「三社明神」と言われていました
が、1874年(明治7年)に「十三社明神」となり、
1891年(明治24年)には「賣田神社」、そして、
1942年(昭和17年)に現在の「賣太神社」に
改称しています。祭神は古事記で有名な「稗田
阿礼」です。
下図①のところにある「めた橋」です。
川のように見えるのが環濠です。
①の右側には無料駐車場があるの
で、ここに自動車を駐車しました。
稗田(ひえだ)環濠集落です。(上が北の現地案内板より引用)(上が北)
下図より⑤⑥⑦の道が下つ道でした。発掘の結果下つ道の幅は16m、
西に4m、東側に11mの運河が掘られていて、水陸両用の構造でした。
古代では賣太神社は、今より大きく、稗田環濠の
西側(上が北)まで境内があったようです。
今回は環濠の周囲に咲いていたコスモスの花です。
上図⑥から見たところです。
上図⑧の辺りで咲いていたコスモスです。
以上⑧の付近で咲いていたコスモスです。
今日はここまでで、明日に続きます。
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