みやのまえ文化の郷の紹介2 近衛家と伊丹郷町 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

江戸時代になり

 

 

旧岡田家の土間から撮影したところです。

この写真の反対側に、江戸時代の伊丹郷

町展示品(下図)があります。

 

岡田家の解説板です。

今回は展示品の一部を紹介します。

戦国時代に荒木村重が1574年に

惣構を造り、有岡城を完成させます

が、わずか4年後に主君信長にそむ

き、5万の大軍に包囲されて、10ヵ

月の籠城後、村重は救援を求めて

長男のいた尼崎城に脱出します。

しかし、救援が来ないので籠城1年

後に落城します。有岡城の主郭部

と侍町は焼かれましたが、町屋は

残りました。

 

江戸初期の畿内酒造地地図です。

伊丹の近くに書かれた鴻池で清酒

が発明されて、江戸向けの清酒が

たくさん造られました。

 

江戸時代初期の寛文年間(1669年)の古地図です。

この時はまだ侍町に人家がありませんが、焼け残った

西側の町屋では酒造りが盛んになります。

江戸時代には

近衛家(公家五摂家のひとつ)の領地となります。近衛とは平安京の近衛大路に

由来します。本姓は藤原氏で藤原北家近衛流の嫡流にです。摂関家には近衛流

と九条流がありますが、藤原氏の分家で初めて藤氏長者(とうし

ちょうじゃ)をつとめたのが近衛家です。公家は貧乏といわれます

が、近衛家は2862石あり、さらに伊丹郷町の造り酒屋からの税金が入り、財政

は豊かでした。

 

1796年の古絵図です。この頃になると

侍町にも人家が出来ています。造り酒屋

も80店を超えて栄えます。

 

約200年前の幕末の伊丹郷町です。

民家約2500軒・人口1万人の町になりました。

近衛家は城・陣屋を置かず会所を造ります。

 

江戸時代後期の伊丹郷町です。

 

町会所の表門です。1954年に焼失しました。

 

近衛家の支配は、町の有力酒造家から選ばれた、

惣宿老・御金方と言われる役人が町の運営をして

います。

 

酒造株札です。

 

会所にあった近衛家合印文のある遺物です。

 

祭の花として、領主近衛家は大鉾を猪名野神社に奉納しています。

 

会所の庭にあった石燈籠です。

 

 

酒造りの図会です。

 

伊丹郷昆陽口村の絵図です。

 

清酒発明の地である鴻池解説板です。

 

江戸時代に描かれた伊丹です。

 

伊丹の酒を販売していた、江戸にある問屋の高崎屋です。

 

今日はここまでです。明日は隣に移築された石橋家紹介です。

 

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