みやのまえ文化の郷の紹介1 造り酒屋の旧岡田家 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

 

今日は有岡城跡が、江戸時代に造り酒屋で栄えていた

ころの紹介です。

鴻池家家伝によれば祖は山中幸盛(鹿介)であるといい。

山中鹿之助の子の、摂津国伊丹の酒造業者鴻池直文の

子、善右衛門正成が摂津国大坂で一家を立てたのを初代

としています。初め酒造業でしたが、1656年に両替商に

転じて、事業を拡大して鴻池財閥になりました。

この鴻池家の発祥の地が伊丹なのです。

尼子の名将山中鹿之助の息子として生まれながら、武士

を捨てて、山中新六(鴻池直文)は伊丹で酒造業に従事し

ます。新六が最初醸造していたのは白いにごり酒でした。

当時は濁り酒が庶民に普及していました。
ところが、ある偶然で灰を混ぜると、透明な清酒が出来た

のです。なので、清酒の発祥は伊丹と言われます。ただし、

奈良の寺院では古くから造られてきた「南都諸白(なんとも

ろはく)」という清酒があるし、河内長野市の天野山金剛寺

でも「あまのざけ」という琥珀色の酒を豊臣秀吉に献上して

います。いろいろ製法があり、白い濁り酒だけではなかった

ようです。山中新六が木灰清澄(もくはいせいちょう)法とい

う、清酒製造法を偶然発見したのでしょう。

伊丹では現在、小西酒造の銘柄「白雪」が有名です。

「山は富士酒は白雪」のCMで有名です。

 

酒造のことが「みやのまえ文化の郷」という場所で展示

されています。

 

遠くに見える鳥居が猪名野神社の鳥居です。

左端に伊丹アイフォニックホールが見えます。

 

みやのまえ文化の郷へ行きます。

 

ここも台風被害で壁がはがれています。

 

最初にここで酒造業を開始したのは松屋与兵衛さんで、

その後、明治になり岡田家の所有になりました。

17世紀の造り酒屋として国重要文化財になっています。

 

造り酒屋だった元岡田家です。

 

ここに入ります。

 

入口を入ると左側に店の間があります。

 

店の間です。

 

暖簾の次の土間に入ると

 

中の間です。

この右側は

 

柱の右側が次の間です。

 

さらに奥に行くと

 

奥の方に大きなかまどが見えます。

洗い場と奥に釜屋が見えます。

 

洗い場の大きなお釜です。

 

大きなかまどです。

 

かまどの解説板です。

 

奥の間から店の間方向を見たところです。

 

次に酒蔵に行きます。

 

酒蔵内部です。ビデオ見学ができます。

写真奥の方に搾り機があります。

 

酒の搾り機です。

 

絞り機の解説板です。

 

酒槽(さかふね)部分もこの横に展示があります。

 

酒槽です。これは小西酒造さんの酒槽を展示しています。

 

酒槽解説板です。

 

 

斜線の所が今まで紹介した元岡田家で、

最盛期には上図のすべてを所有していました。

 

今日はここまでです。2階は公開していません。

明日は各種の展示品紹介です。

 

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