有岡城の紹介6 猪名野神社から鵯(ひよどり)砦まで | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今日は猪名野神社から、有岡城の南の端

にあった、鵯(ひよどり)砦までです。

 

猪名野神社の手水舎です。

酒造の町伊丹だけあり、龍ではなく

酒樽から水が出ています。

 

水の垂れる所をストロボ撮影しました。

 

水の垂れる所をストロボ撮影しました。

 

猪名野神社本殿です。

床が高くていいですね。

ここが有岡城の岸の砦

跡です。本殿は江戸時

代に領主の近衛家が、

寄進しています。

 

猪名野神社本殿です。

左端が拝殿です。

 

拝殿正面からです。

 

拝殿正面から本殿を見たところです。

 

赤い線に沿って歩きました。

 

この神社も末社で台風被害がありました。

 

境内図に現在地と書かれた左側にある絵馬殿です。

 

中には絵馬と白馬像などがありました。

 

寛文9年(1669年)の伊丹の古地図です。

城と書かれたところが有岡城の主郭部です。

野宮と書かれたところが猪名野神社です。

城は廃城となり、伊丹は近衛家の所領です。

有岡城の戦いのときに、黒田官兵衛が幽閉

された場所は定かではありませんが、城と

書かれた主郭部のどこかと考えられます。

侍町も焼かれたので、何も描かれていませ

ん。町屋は焼かれなかったそうです。

 

猪名野神社の参道に出て、下図⑨から拝殿方向を撮影しました。

 

さらに南に歩いて撮影しました。

この参道の両側にはお寺が多いです。

お寺は防御施設になることも多いので、

この辺りも岸の砦でしょうか。

 

次に、南端の鵯砦後にも行きたかったのですが、

下図にある宮の前文化の郷を見学していると時間が

無くなりました。鵯砦跡は私有地なので中に入れない

とネットで知っていたので行きませんでした。その代

わりにグーグルストリートビュで調べました。

グーグルで上空から調べると、上図に書き込みました

が、付け替えられた駄六川が、暗渠から溝として残っ

ているのを発見しました。有岡城の東側はこの駄六

川が流れていました。そして崖になっていました。

 

現在の絵図ですが、駄六川は猪名川に流れています。

しかし、

 

溝として残る駄六川を水色に塗りました。

上図左下に鵯砦があります。

鵯砦部分を拡大すると

 

鵯砦の主郭は古代の古墳を利用していました。

私有地で中には入れませんでした。

 

私有地の前の道から見たところです。(グーグルストリートビュより)

 

駄六川の方は

 

上図⑩の所は

 

⑩の所です。(グーグルストリートビュより)

手前の道の向こう側が溝となった駄六川です。

土手の上が有岡城でした。

 

上図⑪の所は

上図⑪の所です。(グーグルストリートビュより)

手前が駄六川です。

合流している溝は外堀でした。

 

上図⑫の所です。(グーグルストリートビュより)

駄六川が溝として残っています。

崖になっていて、崖の上に鵯砦

がありました。この時代の戦い

は銃撃戦なので、防御力は高

かったと考えられます。

 

1796年の駄六川です。

猪名川への付け替えもなく、現在より大きな川だったと考えられます。

 

有岡城紹介はここまでで、明日は江戸時代に

酒造業で栄えた伊丹郷町の紹介です。

 

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