大垣城の紹介13  大垣まつりなど 最終回 | みどりの木のブログ

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今日は住吉大社の観月祭を見に行き、

更新が遅れました。すいません

 

大阪住吉大社の観月祭です。(2018年9月24日19時30分頃撮影)

 

昨日の続きです。

今日が大垣城紹介の最終回です。

 

大垣市政100周年のポスターがありました。

記念式典が2018年10月6日で、もうすぐですね。

八幡神社大垣まつりの山車も13両全部出ます。

このまつりは世界遺産だそうです。平成28年

12月1日にエチオピアで開かれた政府間委員

会で審査され、ユネスコ無形文化遺産に登録

されています。

 

公式動画です。(80秒)

 

大垣まつりの軕の起源は、慶安元年(1648年)に

大垣城下町の総氏神であった八幡神社が、大垣

藩主戸田氏鉄公により再建整備されたおり、城下

18郷が喜びを御輿3社の寄付で表し、大垣10ヶ

町が10両の軕(出しもの)を造って曳回したのが

始まりといわれています。武家では八幡神社を

信仰しているので、ほとんどの藩で八幡神社を、

再建・新設しています。
 延宝7年(1679年)に、藩主戸田氏西(うじあき)

公から、「神楽軕」「大黒軕」「恵比須軕」のいわゆ

る三両軕を賜り、それを機に10ヶ町は軕の飾り

つけに趣向を凝らしています。
濃尾震災や先の大戦によって多くの軕を失いま

すが、その後、修復や復元、購入などにより再建

が進められ、平成24年に2両の軕が復元され、

70年ぶりに全13両軕が勢揃いしました。

 

観光マップです。八幡神社は左上⑦にあります。

 

初めの回でUPした、八幡神社の写真です。

神社前が広いのは、この祭りのためでした。

 

次に本丸がある上図⑧の大垣公園です。

 

大垣公園です。本丸の南側の白いところは

二の丸跡で、公園ではなく濃飛護国神社が

あります。

 

下写真⑤の濃飛護国神社です。

1869年(明治2年)8月、旧大垣藩主・戸田氏共が戊辰戦争に参加した、

大垣藩士の戦死者54名を祀るため、大垣城下の操練場に仮招魂祠を創

建したのに始まります。翌1870年(明治3年)8月に、大垣城二の丸を招

魂場と定めて祠宇を創建し、祭式を執り行った。1875年(明治8年)9月、

国庫から毎年神饌、祭祀料、営繕費が支給されることになり、官祭招魂社

(大垣招魂社)と改称した。1879年(明治12年)には西南戦争に従軍し

戦死した大垣在籍の士族ら12名を合祀します。

1891年(明治24年)の濃尾地震で社殿が倒壊したため、有志の寄付金

のほか内務省から改築補助金として金500円が交付され、1895年(明治

28年)10月に再築落成式祭が行われました。
1897年(明治30年)に、岐阜県出身の軍人で日清戦争に従軍して戦病

死した253名を合祀し、1905年(明治38年)に日露戦争に従軍して戦

病死を遂げた岐阜県出身者2552名が合祀されると、社殿拡張と改築の

機運が高まり、岐阜県下の在郷軍人が中心となって、招魂社改築期成同

盟会を組織して寄付金を募集した。1909年(明治42年)に竣工した。
1939年(昭和14年)3月27日に官祭「濃飛招魂社」に改称し、同年4月1

日の官報告示を以って、内務省指定の「濃飛護國神社」と改称しました。

1945年の空襲で焼失しますが、1958年(昭和33年)に本殿が竣工し、

翌年に幣殿及び拝殿が竣工します。

1965年(昭和40年)には西濃運輸(現・セイノーホールディングス)創業者

・田口利八が大鳥居を奉納します。同年10月26日に昭和天皇と香淳皇后

が第20回国民体育大会(岐阜国体)行啓の折に参拝しています。

 

グーグルより引用の大垣公園です。

 

⑪の方に行くと

 

噴水があります。

 

少女の持つ壺から水が流れ落ちています。

 

次に⑮に行くと

 

⑮から見た少女像と大垣城ホールです。

この反対側は

⑫の大垣市郷土館が見えます。この辺りまでが内堀で、

道路からは三の丸でした。

 

郷土館です。

 

家老戸田鋭之助屋敷の正門および舟板塀です。

残念ながらこの日は休館日でした。

昭和60年に戸田公入城350年を記念して建設

され開館しました。パンフレットは天守でもらいま

した。戸田氏顕彰室・郷土の美術品・大垣城の

ジオラマなどが展示してあります。

 

赤丸の屋敷と考えられます。(天守展示の1645年頃の絵図)

藩主御殿は二の丸にありました。

 

天守には大垣城のジオラマが無く、美濃路だけ

のジオラマがありました。

 

最後に常葉神社です。

 

 

 

上図⑬から見た常葉神社です。

 

神社沿革です。

戦没者用の濃飛護国神社と違い、藩主用の神社です。

 

⑭から見た拝殿です。

 

 

 

拝殿を横から見たところです。

 

社務所です。

 

神社出口です。

 

今も残る秋葉神社辺りの総掘りです。(グーグルストリートビューより引用)

左側が総掘跡で結構狭いです。

 

これで大垣城の紹介は終わりです。

明日からは岐阜の航空宇宙博物館

の紹介です。

 

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