ワルシャワ紹介1 歴史  ショパン像 | みどりの木のブログ

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今日からポーランドのワルシャワ紹介です。

 

ワルシャワ・ショパン空港です。

 

 ワルシャワは市内をヴスワ川が貫通します。1611年のワルシャワ遷都より前に

作られた、歴史的市街地は第2次世界大戦後、戦火で荒廃したが、旧市街を「煉瓦

のヒビに至るまで」復元して元の町並みを再現しました。1980年にユネスコから、

「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録されました。

 

グーグルより引用のワルシャワ地図です。

 

初めにワルシャワの歴史からです。

 昔々、ヴスワ川のほとりに小さな家がありました。そこにはワルスとサワが住ん

でいました。ワルスは漁師で、サワはワルスの妻です。あるとき、この近隣地域を

支配していたジェモメスゥ公が狩に出ます。獲物を追っているうちに、家来たちか

ら離れ、森の中で迷ってしまった。夕暮れちかくになっても帰り道が見つからず、そ

のうちにヴスワ川のほとりに行き着き、ワルスとサワの住む家を見つけます。夜に

森を一人で歩くのは危険であるため、公はワルスとサワの家のドアをたたき、泊め

てくれるように頼みます。ワルスとサワは見知らぬ客人を暖かく迎え、食事とベッド

を用意します。このもてなしに公は大変感謝した。翌朝、公は貧しい漁師夫婦に礼

を言い、「見知らぬ人物を嫌がりもせず家に招きいれ、空腹、寒さ、野獣から救って

くれた。あなた方の親切がいつまでも忘れられることのないように、この地は今後

いつまでもワルスとサワの土地である」 と言いました。それでワルスサワからワル

シャワとなりました。ただし諸説あります。

 

ワルシャワについての最古の文書は13世紀1285年のものです。当時のワルシ

ャワはマゾフシェ公爵領に属し、漁業を中心とする寒村でした。マゾフシェ公爵家

の家系の断絶に伴い、マゾフシェ地方はポーランド王国に編入されます。1596年、

ポーランド王宮廷は古都クラクフより移転し、ワルシャワは1611年に正式にポー

ランド(立憲君主制の多民族連邦国家ポーランド・リトアニア共和国)の首都とな

ります。

1795年の第三次ポーランド分割でプロイセン領に組み込まれます。1807年、

プロイセンを征服したフランスのナポレオンが、ティルジット条約によってワルシ

ャワ公国を建てるが、ナポレオン失脚にともなうウィーン会議で、多くのワルシ

ャワ公国の地域はポーランド王国(ポーランド立憲王国)とすることが確認され、

ロシア皇帝アレクサンドル1世がポーランド国王の座につきます。

第一次世界大戦中に社会主義革命が起こったロシアでは、ソヴィエト政権が

成立してパリ講和会議において、ポーランドの独立が承認され、ワルシャワは

独立を回復させます。

1939年にナチス・ドイツがポーランドへ侵攻、ワルシャワはドイツ軍の電撃戦

による空襲に晒され、ナチス・ドイツの占領下におかれました。ポーランド政府

は降伏せず、ポーランド亡命政府としてパリ次いでロンドンに拠点を置き抵抗

運動を開始します。第二次世界大戦前にはユダヤ人の数は35万人を越えて、

市民の3人に1人はユダヤ人でした。ワルシャワ市内居住のユダヤ人はドイツ

によってワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人居住区)へ集められます。イスラエルが

出来たこともあり、2010年の国内ユダヤ人在住者数は3200人と激減してい

ます。

 

ナチス・ドイツによるワルシャワ空爆写真です。

 

1945年1月、ソ連軍がし、ヴィスワ=オーデル攻勢によりドイツ軍を排除しま

す。その後44年にわたりポーランドはソ連の衛星国家とされ、ポーランド人民

共和国が成立し、ワルシャワはその首都でした。ポーランド・リトアニア共和国

を継承するポーランド亡命政府はロンドンに避難します。1989年9月7日に、

ポーランドが連帯の活動で民主化し、ポーランド共和国となり、ワルシャワは

その首都となりました。

 

ワジェンキン(風呂)公園

ワジェンキン公園は昔、王様の離宮でした。現在76Haの公園です。

 

現地にあったワジェンキン公園の地図です。左中央㉑のところには

ショパン像があります。ポーランドでは最も有名な人です。

 

ショパン像です。

 

 

ここで写真撮影をしました。

 

 

さらに拡大すると

最初の像は第2次世界大戦時に、ドイツ軍によって破壊されました。
現在のこの像は、ポーランドのクラコフ芸術大学のマリアン・コニエチ

ニイ教授によって作成されたものです。ショパンが柳の根元に腰をか

け、物思いに耽る様子を表しているそうです。

 

ショパンの肖像画です。

 

ショパンの生涯

フレデリック・フランソワ・ショパン(1810~1849年)は、父がフラン

ス出身でした。ワルシャワ公国中央のジェラゾヴァ・ヴォラに生まれ、

8歳のときワルシャワではじめて公開演奏しています。その後、彼は

ウィーンやパリで活躍し、26歳でマリアと婚約しますが、ジョルジュ・

サンドと出会い婚約破棄して、サンドと暮らしました。。39歳の若さ

でパリに滞在中病没します。

 

今日はここまでです。明日に続きます。

 

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