昨日の続きです。
今日はモロッコ門より入り、神殿の丘と岩のドームです。
入場した時はラマダンで、神殿の丘での飲食は禁止でし
た。水も飲めません。また、男女が触れ合うことも禁止で
す。
モロッコ門より中に入り、下図⑦より
モロッコ門を撮影しました。
上が北の地図です。
⑦より南側は
この左側は
アル・アクサー寺院が見えます。
アル・アクサー寺院はローマ帝国滅亡後、
エルサレムは638年に、イスラム勢力に
支配され、その時にエルサレムで一番神
聖な場所はと聞かれたキリスト教の司祭
が、それは岩の所だと言いました。キリス
ト教関係の場所を荒らされたくなかったた
めと考えられます。それでウマイヤ朝第5
代カリフのアブドール・マリクは685年に
岩のドームを建造します。その息子ワリー
ド1世が715年に礼拝堂として、このアル・
アクサー寺院を建造しました。
これは⑦から北側を撮影しました。
⑦から岩のドーム方向です。
次に⑧から岩のドームを撮影しました
この岩のドームはオスマントルコの
スレイマン1世により外部は大理石
と美しい瑠璃色のトルコ製タイルに
よって装飾されています。ドームは
金張りのアルミタイルで、1964年
に覆われました。周囲の窓はステン
ドグラスになっています。
これはモロッコ門方向です。
中央の小さな建物は10年前まで、1人10ドルで
岩の神殿内に入れた時のチケット売り場です。
拝観収入が不正使用されたことで、ドーム内は
拝観禁止となりました。イスラム教徒なら中に
入れます。イスラム教徒として中に入ろうとした
人がいるそうですが、コーランを読めと言われて
諦めたそうです。
⑧から見たアル・アクサー寺院です。
グーグルより引用の神殿の丘です。
正面の入口です。
アル・アクサー寺院内部です。(現地解説書より引用)
十字軍時代は神殿を守る騎士の宿舎となりました。
この騎士が後のテンプル騎士団として知られます。
サラディンが十字軍に勝利して後はモスクに戻され
ました。
アル・アクサー寺院前で写真撮影しました。
マシンガンを持ったイスラエル兵が警備をしています。
左側に見えるものは
アル・アクサー寺院と岩のドームの中間地点
にある噴水です。モスクに入る前に足を洗う
所です。日本の手水舎のような感じのもので
す。
ここには白と黒のカラスがいました
白と黒のカラス。神殿の丘にたくさんいました。
日本では珍しいです。
この階段の上の写真を撮影しましたが
見当たらないのでグーグルストリートビ
ューより引用します。
⑨から撮影した岩のドームです。
大量に敷き詰められた石は、昔の
ヘロデ王時代の神殿で使用してい
た石かもしれません。
⑩の小ドーム内から撮影した写真です。
このドームの方が岩のドームより先に
出来たそうです。
⑬より撮影した岩のドームです。
左のテントは日よけのためにあります。
これが岩のドームの内部構造です。
これが岩のドーム内部の岩です。(グーグルストリートビューより引用)
この場所にユダヤの第一神殿・第二神殿が建てられました。
この岩の下には洞窟があり、アブラハム・ダビデ・ソロモン・
ムハンマドなどの聖人が祈りをささげました。
この岩の上でアブラハムが子供のイサクを殺そうとした所です。
また、イエス・キリストがこの岩の上で説教をしたといいます。
さらに、イスラム教祖のムハンマドが昇天した所でもあります。
多くの柱は2000年前のヘロデ王時代の宮殿で使用された
可能性があります。彼らは地球の中心と呼んでいます。
今日はここまでです。明日はオリーブの丘です。
読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。
希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。
毎日午後8時半頃に更新しています。
「相手わかるように」に設定して登録してください。
読者のブログ村・ブログランキングを出来るだけ押しに行きます。
Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
お手数ですが、よろしく。ぽちっと押すだけ