みはら歴史博物館の紹介2 河内鋳物師と鎌倉大仏 | みどりの木のブログ

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昨日は日本100名城の明石城を見学してきました。後日UPします。

 

この特別展は今日で終了です。

昨日の続きです。今日は早めにUPしました。

学芸員さんに説明してもらいました。

撮影禁止の物もありました。

 

河内鋳物師の生活

鋳物師の技師長を大工と言っていました。

余部城がその中心と考えられます。

 

銅と鉄の両方の金属を加工していました。

梵鐘をはじめとして、日常生活道具も造りました。

周辺には鋳込みに必要な、薪の木々もありました。

 

左が井戸から出土した鉄瓶です。

砂鉄もとれたようです。

 

河内鋳物師が製作した梵鐘です。

 

発掘から鋳物工房の復元模型です。鋳物師達は農業もやりながら暮らしていました。

 

河内鋳物師は鎌倉時代中心に活動しましたが、

河内鋳物師は南北朝期に戦が多発したためか、

移住して現在は美原区に鋳物師の業者はいま

せん。

 

鎌倉時代の河内鋳物師の活動状況年表(梵鐘の年号からわかりました)

 

 奈良時代には多治比真人三宅麻呂が、和同開珎を鋳造して、朝廷から

その功績で鋳銭司の長官に任じられています。「大保」という官位ももらい

ました。現在は大保という地名の村があります。「大保1000軒」と言われ

るほど栄えたといいます。

 

大保地区周辺図です。(グーグルより引用)

現在は大保地区に鋳物業の痕跡もありません。

 

鎌倉大仏の年表です。小さくて読み難くてすみません。

 

 

鎌倉の大仏を鋳造した鋳物師の記録は無いのですが、

丹治久友が造った梵鐘に、鎌倉大仏鋳造の記録があり

ました。

 

今日は此処までです。明日は明石城を見学した帰りによった大阪梅田の

「時の広場」のイルミネーションです。

 

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