鳥取城の紹介6 山下の丸1 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

山上ノ丸から下山して、山下ノ丸へ戻りました。

 

下山して下図④の所です。左の曲輪は天球丸です。

 

江戸時代初期1681年の古絵図です。

まだ山上ノ丸に二階の天守があります。

 

平成になって石垣の大規模な補修工事があり、

石垣の石が並んでいます。

 

ここは二の丸です。三階櫓跡の石垣が遠くに見えます。

初代の藩主の時にはここに御殿がありました。

 

 

地図⑤の所です。表御門跡とあります。

右に曲がって行くと

さらに右に曲がっていきます。

 

地図⑥の所です。彦根城にあった登り石垣があります。

平成になり補修工事がされたので整った石垣です。

 

ここで撮影しました。後ろは天球丸石垣です。

 

さらに下りていきます。左端に登り石垣が見えます。

 

右は二の丸の石垣です。

 

こんどは緩く登りながら③の所に行きました。左は登り石垣です。

 

回り込んでみた登り石垣です。

 

1681年の古絵図です。この時は天球丸に丸巻石垣がありません。

 

上図⑦の所から③を見たところです。③には武具櫓がありました。

 

③から天球丸石垣を見たところです。

この丸巻石垣は江戸中期から幕末頃に出来ています。

 

天球丸解説板です。

 

天球丸石垣の解説板です。

江戸時代中期ごろから石垣が孕みだしたので、河川工事に

利用される手法で、丸巻石垣を造り補強しています。

 

天球丸の右側は坂なので、水堀に出来ずに、空堀の竪堀

になりました。

天球丸右側の竪堀(御カラ堀)絵図です。現在位置は③の所です。

 

現地の現在地にある古絵図です。

 

③から撮影した。天球丸右側の竪堀です。

城の右側には水堀が無いので、この竪堀

がその代わりでした。江戸時代末まで管理

されて維持されていました。

 

今日は此処までです。明日に続きます。

 

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