昨日の続きです。
今日は小泉八雲旧居の室内紹介です。
小泉八雲邸前の内堀です。 ナンキンハゼの木に白い実がついています。
小泉八雲邸前の内堀です。堀川遊覧船が見えます。
現在地にあった観光地図です。(下が北)
小泉八雲旧居前です。
客用の玄関式台前です。右側の入口から入りました。
入口を入り上にあがったところです。
右端の障子は式台内側からの障子です。
ここから時計回りに部屋を回ります。
手前は式台の間で、このガラス張りの部屋が居間です。
明治になってからガラス戸にリフォームされたのでしょう。
八雲が住んでいた当時のまま保存されています。
家主の根岸干夫の長男:磐井が松江中学(現:松江北高校)
から、旧制五高(現:熊本大学)、そして東京帝大と進学して
八雲に教わった子弟の間柄でした。磐井は東京帝大卒業後
日本銀行に勤めますが、東大時代の友人である、上田敏・
小山内薫・柳田国男らの勧めで、大正2年(1913年)に、
旧居保存のために松江に帰ります。一部改築されていた家
をもとに戻しました。隣の記念館設立にも尽力しました。
道路側の庭です。この家の庭は明治初年に、家主の根岸干夫(たてお)
の父:根岸小石により造られました。
隣が小泉八雲記念館側の庭です。
居間の奥にある八雲と妻セツの寝室です。
居間の奥にある八雲と妻セツの寝室です。
八雲とセツ夫妻の写真です。子供も3男1女の4人も生まれました。
結婚後八雲が死ぬまで結婚していました。
東京に移り住んでからの写真です。
セツさんの実家小泉家は300石取の中級武士でした。
このさらに奥は書斎です。
書斎です。右のガラス窓のむこうにある庭が、
八雲がもっとも好んだ庭です。
書斎です。
書斎には洋式の机があります。
この奥が妻セツの部屋です。
妻セツの部屋です。
ここから北側の庭が見えます。
この窓際には細い廊下があります。
北側の庭側にある廊下です。書斎につながっています。右端に土蔵が見えます。
小泉八雲の最も好きだった庭です。左端が土蔵です。
同上
この庭は夏になるとカエルが沢山いて、土蔵の方から出てきた
蛇に食べられそうになったのを八雲が助けたそうです。
八雲による北側の庭解説板です。
これで紹介は終りです。明日は塩見繩手の出雲そばの店と明々庵紹介です。
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