真田丸の再紹介 後編 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今日は真田丸の南側からです。

明星高校の道横花壇で咲いていた七変化の花です。

 

 

 

 

下は広島市立中央図書館所蔵の真田丸図です。

右が北です。NHKの発掘で使われた絵図です。

これは真田丸が破却されてからのものです。

三光神社側は真田丸になっていません。

 

真田丸部分の拡大です。寺が長い冬の陣の間の、

兵の宿舎だったと考えられます。

 

これを昨日UPした明治23年の地図(高低差)の上に、回転縮小

して、半透明にして重ねました。

真田丸の古地図が、距離の正確な地図ではないのですが、

こんなイメージになりました。

昨日の地図では、掘り易さを考えて堀の位置を描いたので、

地形図から堀を掘り易い所に赤線を入れました。

 

赤い線で囲んだ所が真田丸の推定地です。

昨日の地図より南側の堀の位置を、重ね図から考えて

少し変えています。捨曲輪の方は攻め込み易いように

堀はありません。

 

赤線が歩いた経路です。

 

今日は真田丸の南側⑰からです。

⑰から東を見たところです。

 

⑰から西を見たところです。

ここの右側の塀の所に、最初の花が咲いていました。

 

進んで⑫で南を見ると

⑫から南を見たところです。低くなるのが分かります。

 

さらに進んで⑬の所が、NHK番組で発掘していた駐車場です。

⑬を矢印で示しました。

 

中をのぞくと

もとに戻されましたが、掘られた跡(色が少し黒い)が見えます。

ここには堀がありませんでした。

 

南側から見た駐車場です。(この写真はグーグルストリートビューより引用)

 

さらに南側の⑮から見ると

⑮から見た段差です。この辺りに堀があったと考えられます。

発掘の駐車場は赤い矢印の所です。

ここは高津高校のテニスコートです。(この写真もグーグルストリートビューより引用)

ここも発掘して欲しいですね。

 

長いのでもう一度現在のグーグル地図です。

 

さらに歩いて⑭の所は

⑭の交差点と鎌八幡が見えます。

 

鎌八幡の交差点から西を見たところです。低くなっています。

 

⑭から南を見た所です。低くなっています。

 

悪縁切りで有名な鎌八幡です。残念ながら境内撮影禁止の貼り紙がありました。

ここには国学の祖と言われる契沖の円珠庵があります。元は和泉の旧伏屋家内

に円珠庵がありました。

以前ここのリンクで紹介しました。

 

⑭から④に移動しました。その途中は

明星高校の正門です。キリスト教系の学校なので礼拝堂が右に見えます。

 

さらに歩くと

低くなっています。

 

④は前回紹介しましたので、次に⑯の辺りの高低差の写真は

⑯の位置の階段があり、北側は高くなっています。

 

これも⑯付近です。

 

この辺りの南側は

木々が見える所は三光神社のある捨曲輪です。高くなっています。

捨曲輪は堀が無いので攻めやすいのですが、それが真田流の誘い

込み戦術だったと考えます。ここの⑯惣構えの所からも攻撃すれば、

徳川軍に十字砲火を浴びせられます。

 

地下鉄玉造の駅で、地下通路に幸村のコーナーがありました

三光神社が近いのでここにあるのでしょう。

以上が、みどりの木の三光神社捨曲輪説でした。

 

今日はここまでです。明日は中の島付近での、大阪光の饗宴2016の

イルミネーションの紹介です。

 

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