国学の祖 契沖ゆかりの旧伏屋家 | みどりの木のブログ

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 2013年2月23日和泉中央駅近くの万町にある、
伏屋家の見学(非公開ですが現当主に断りました。)
に行きました。
 契沖(1640から1701) は僧侶でありながら国学の
祖(オタクの元祖ともいわれる)とされる人です。
この伏屋家の養寿庵(のち円珠庵として大阪市内
に移築)に5年くらい滞在して古文書を研究し、
「正字類音集覧」を著しています。
水戸光圀から委嘱されて、万葉注釈書「万葉代
匠記」なども書いています。仮名遣いの研究で
後世の本居宣長などに影響を与えました。明治
維新にも思想上で大きな影響を与えたと思う。
 伏屋家は1929年の世界大恐慌で株の大暴落
などもあり没落して家屋敷を失いました。現在は
別の方がお住まいです。下の絵は契沖の肖像画

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記念の石碑


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旧伏屋家の長い土塀(左の板塀の所には最近まで下写真の長屋門があった)
拡大して見て下さい右側に板塀がみえます


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旧長屋門は現在板塀になっていた。

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江戸時代に建造された母屋

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上の写真の右が式台で、左が中門のあと
母屋には武家屋敷にある式台(かごに乗ったままで
乗り降りできる大きな玄関のこと)があった。伏屋家は
農家だが豊臣秀吉の家臣であったので、元は武士で
帰農している。契沖も父(俗姓下川)が尼崎藩の武士
だが改易され浪人となっている。おなじ豊臣家臣団
なので父と伏屋長左衛門重賢は知り合いだったようだ。
両者は真田幸村のように戦死せずに生き延びた。
伏屋家はこの地の大庄屋をしていた。