昨日の続きです。
昨日の動画の設定が悪かったので、UP後気づくまで
2時間ぐらい表示できませんでしたので、再度UPして
おきます。どうも申し訳ないです。
動画の時間は2分30秒です。
昨日と同じ、ライトショーの一部分の動画です。
では、今日の槙本院周辺の江戸末期と現在の比較です。
現在の観心寺の絵地図です。
江戸時代末期に描かれた、槙本院西側の観心寺古地図です。
ピンクの線は大沢街道(奈良の五条につながる道)です。
上の地図⑩の所から門前町を見ると
⑩の位置から見た門前町です。ピンクの線は大沢街道です。
魚眼レンズで撮影しました。
この先にある道です。ここに門前町があったと考えられます。
⑪から大門方向は
⑪から大門方向です。
魚眼レンズで撮影しました。
手前の川の川上方向に歩いて撮影しました。
川上方向の所から撮影しました。
ここにさざんかの花が咲いていました。
さざんかの花
同上
川が流れ込んでいるところです。深い渓谷になっています。
魚眼レンズで撮影の渓谷です。魚眼レンズで撮影しました。
子院1が古地図の①、子院2が古地図の②・・・子院7が古地図の⑦
に対応しています。
赤の数字は関係ありません。
幕末当時は道が狭かったので、この道の左側歩道だけが、
古道であったと考えられます。
この辺りに大門があったと考えられます。
大門跡から槙本院方向です。赤い線は大沢街道です。
次に⑫から見ると
⑫から大門跡方向を見たところです。紅葉のある所が大門のあった所です。
長いので、もう一度古地図です。
江戸時代末期の古地図です。
子院⑥、⑦辺りです。今は何もありません。
子院⑤、⑥あたりです。今は何もありません。
子院①,②の辺りです。今は何もありません。
①,②の子院跡の駐車場です。(魚眼レンズで撮影)
同上です。(魚眼レンズで撮影)
子院③の辺りです。
石垣の所が子院③です。石垣の先に槙本院の表門が見えます。
槙本院表門の所で、古地図には北に延びる道があります。
右端が槙本院の表門です。
古地図⑨の道の所に門があります。
門の向こう側は
覗くと、道らしきものがあります。
さらに東に進み、右の白塀は槙本院のものです。
石垣の所に古地図にある入口は現在ありません。
槙本院の白塀です。
建物は本坊と寺務所です。
今日はここまでにします。明日は今の大門の南側の探索紹介です。
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