昨日の続きです。
今日は経堂からです。
経堂です。創建時はこの辺りに金堂がありました。
赤い線で書かれたものは創建当時のものです。
右が護摩堂で、木で見えにくいですが、左が慈憩堂(休憩所)です。
創建時は護摩堂の前に廻廊(上図)がありました。
聖徳太子の愛馬だった黒駒です。
空を駆け、達磨大師の化身と言われます。
次は、本堂の太子殿です。
本堂の太子殿です。
江戸時代幕末の1864年に、太子信仰のおかげで
多くの人の協力があり造営されました。創建当時に
は講堂があった所です。
内部の様子です。
中央奥まった玉殿に、撮影禁止の御本尊があります。
室町時代に作られたという「聖徳太子勝鬘経講讃像
(国重文)」です。聖徳太子35歳の時の姿です。その
姿は金箔の釈迦如来が座している様な姿です。
橘寺の前身である、橘の宮(聖徳太子勝鬘経講讃)
の創建時期が橘寺の創建時期と考えると、橘の宮
の創建が橘寺の創建と考えられます。
本堂太子殿の廊下から見たところです。黒駒とその
後に観音堂(元本堂)があります。
次に、本堂横にある二面石です。
飛鳥時代の石造物です。高取城跡にあった猿石と
同じような理由で出来た石造物です。
人の心の善悪二相を表したものと言われます。こちらが悪人か?
こちらの顔が善人でしょうか?
これは五重塔の左側にある蔵背面です。
最後に新しくできた往生院に行きました。
念仏写経研修道場として平成9年に建立
されました。
右が往生院で、左に半分見えるのが聖倉殿(収蔵庫)です。
建物の手前は廻廊跡です。
往生院の入り口です。
格天井には有名な画家による、華の天井画260点が奉納されています。
往生院は阿弥陀三尊が本尊になっています。この地域の人たち手造りの、
聖徳太子像が左側に祀られています。ここは研修会場として借りることも
出来るそうです。 (TEL:0744-54-2026)
最後に、橘寺で歌われた、万葉集の歌は一首のみで
橘の 寺の長屋に 吾率宿し 童女放髪は 髪あけつらむか
万葉集より
橘寺の長屋で、昔一緒に暮らしていた童女は、今は大人になっていることだろう。
今日はここまでです。
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