インド旅行記その3プラーナ・キラー | みどりの木のブログ

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 今日はデリーにあるプラーナ・キラー(古い城)の紹介です。
この城はムガル帝国の城で、ムガル帝国とはサマルカンドの
ティムール帝国が滅んで後、ティムールから5代目の子孫で、
自称チンギスカンの流れをくむ母を持つバーブル(1483~
1530年)はデリーとアグラを占領して、初代皇帝を名乗るが
3年後亡くなります。その長男であるフマーユーン(1508年
~1556年)が2代目となりますが、戦いに敗れてイランに
逃亡します。イランのイスラムシーア派の支援で、デリーに
返り咲き1555年皇帝に復位します。しかし、1年後1556年
プラーナ・キラーの図書館の階段で足を踏み外し転落死しま
す。ほとんど日本人の行かない城ですが、彼の墓であるフマ
ーユーン廟は世界遺産です。タージマハルの原型と言われて
います。13年前行ったので今回は行って
いません。
 最初にプラーナ・キラーの図書館の写真


プラーナ・キラーの図書館


フマーユーンが転落死した図書館の拡大写真です。中には入れませんでした。


フマーユーンの肖像画

 
バーアーナ・キラーとありますが、これがプラーナ・キラーです。

城内にあった案内板です。
まずは昔の絵画からです。

城内の案内板にあったプラーナ・キラーの絵画です。
現在の正門は

こんな感じで、この左側の堀の写真は

案内板にある堀の写真です。

門を入った内側から見たところです。


案内板にある井戸です。階段井戸は暑いインドでよく見られます。


案内板のお風呂でハマームです。
この案内板の拡大したものは


王様が2人の男性に洗われています。

案内板のフマーユーン門を内部から見た所です。

イスラムの城内モスクです。イスラム教では1日何回も祈る
ので、城の中にモスクがあります。

モスク内部の祈りをあげるところです。偶像崇拝禁止のイスラム教では
メッカの方向を向いて祈ります。これはその方向を示す飾りです。

裏にある城壁です。
堀が周りにあったようですが、埋め立てられてます。

明日は5代目のシャー・ジャハーン帝の城である、レッドフォートの紹介をします。