インド旅行記その4ラールー・キラー | みどりの木のブログ

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 今日はムガル帝国5代目のシャー・ジャハーンが築造したラール・キラー(デリ
ー城)の紹介です。またの名をレッド・フォートといい、8月15日の独立記念日に
は、ここで首相演説とか記念式典があります。


8月15日ラール・キラーでの記念式典のTV生放送の様子

なので、旅行記その2と3は15日に見学しましたが、ラール・キラーは8月20日の
インド滞在最終日に見学しました。
 王朝名の「ムガル」とは、モンゴルを意味するペルシア語の「ムグール」からきて
います。3代目のアクバル帝の時代に、インド北部を平定したムガル帝国は、5代
目のシャー・ジャハーン帝の時に、タージ・マハル(1654年完成)とラール・キラー
(1648年完成)を造営しています。
ラール・キラーは赤砂岩で城壁を造ったので、レッド・フォートと呼ばれます。また、
デリー城とも言われます。


ラール・キラーの正面


ラール・キラーのグーグルマップ


正門
中に入ると、桝形になっています。


桝形の中にあるラホール門(パキスタン北東のラホールの町を向いている門)
中に入ると売店が続きます。


門の中にある売店です。城内の女性用の市場だったそうです。
しかし、敵が侵入してきたときは、左右の2階から攻撃できます。


音楽の門といい、この2階で演奏したそうです。
右後ろにある建物は裁判所です。


音楽の門からみた裁判所


裁判所内部


皇帝の座る総大理石の玉座です。ここは大理石に象嵌がしてあり豪華です。


一部の象嵌が持ち去られています。こんなことでは触れなくなるかもですね。


5代目皇帝のシャー・ジャハーン


夏らしい服の透けたサリーを着た女性がちらほらいました。
女性はほとんど民族服のサリーですが、男性はほとんどの
人が洋服でした。男性の民族服は巻スカートなので仕事を
するのに不便で、洋服になったそうです。日本の女性が和服
を着ないのは着難いという理由が多いそうです。

赤砂岩は夏に暑苦しいので、夏の離宮は大理石です


夏の離宮(中央に水を流していたそうです)


夏の離宮の反対側の写真です。中央の建屋は水の池で囲まれていました。
背後にある建屋はイギリス兵の兵舎です。この城は1857年にイギリスに
接収されて、最後の皇帝はビルマに追放されます。このデリー城はイギリス
のインド支配の拠点となります。


イギリスの兵舎です。これがあったためか2007年に世界遺産に認定されました。


大理石でできた皇帝専用のモスク(中には入れません)

左端がモスクでその右に召使の家があり、
その右に貴賓謁見の間があります。


貴賓謁見の間です。天井には金箔が貼られていたそうです。
総大理石で象嵌もあります。象嵌に光に当たると輝くように
なっていました。


謁見の間
この反対側に皇帝の部屋があります。


皇帝の部屋


謁見の間の隣の皇帝の部屋を拡大したところ。。
象牙で透かし模様を造る豪華な部屋です。今は修理中です。
この右に出入り口があり、そのノブが象と像使いです。


象使いのいるドアノブ


右は宴会とかダンスなどをした所です。


城の歴史資料館です。

明日からいよいよブッダの遺跡紹介に行きます。
8月15日の夜、寝台列車で1000km離れた、
パトナに移動しました。16日朝にホテルに入り、
午後遺跡に・・・。