インド旅行記その2クトゥブ・ミナール | みどりの木のブログ

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 今回は世界遺産のクトゥブ・ミナールと複合建築物の紹介です。
 トルコ系のイスラム王朝のゴール朝に奴隷として購入されて、
軍人として育成され、解放奴隷(マムルーク)となったアイバク
は遊牧民のキプチャック出身で、能力を認められてインドデリー
方面の将軍に出世します。NHK大河黒田官兵衛でも、能力の
ある人を借金のかたに、家人にしたのと同じようなやり方です。

主家ゴール朝の王様の死去で、ゴール朝が求心力を失ったとき
に、アイバクは1206年にスルタンを名乗りデリーで独立します。
インドではイスラム教徒として、初の王朝を開きます。それが奴隷
王朝で、正確には解放奴隷(マムルーク)王朝です。

クトゥブ・ミナールへの入り口付近にはインド全国から観光客が来ています。
アイバクの名前がクトゥブッディーン・アイバクでその名前からクトゥブ・ミナ
ール(勝利の塔)という、高さ72.5mでインドではもっとも高いミナレットです。

クトゥブ・ミナール(アイバクが1206年に下の一層のみを築造)
2・3層はその後の王様が築造し、4・5層はトゥグルク王朝の
スルタンが1368年に築造した。

クトゥブ・ミナールの入り口です。現在は中に入れません。
塔の表面にはコーランの言葉が浮き彫りにされています。
この塔はインド最初のイスラム寺院のクワットアル・イスラム
・マスジット(イスラムの力を意味します)の中にあります。

クワットアル・イスラム・マスジット寺院の案内板

この寺院の入り口


インド最古のイスラム寺院の部分
アイバクはこの建造物群を造るために、ヒンズー教の寺院を
27ヶ寺も象で破壊して、その石材(赤砂岩)で築造しています。
しかし、4世紀にグプタ朝が建てた鉄柱(純度99%の鉄なの
で錆びない)が破壊されずに残っています。

4世紀グプタ朝の鉄柱(錆びないステンレス製?)


インド最古のイスラム寺院内から撮影


インド最古のイスラム寺院のドームの内部が見事です。


ヒンズー寺院の鏡を見る女神像の顔が、築造時に削られています。
顔部が削られていない美人像ならすごく価値のあるレリーフ像です。

ヒンズー寺院の石材を転用した跡がある柱

イスラム学校の跡



アライ・ミナール(クトゥブ・ミナールの2倍の高さの塔を建てようとしたが、
アラーウッディーン・ハルジー帝が1316年暗殺されて中止になる)




次回はデリーの城を紹介します。