読書日記、その他の日記 -67ページ目

ヘブライ語 ~ 完了・未完了

ヘブライ語も、言語の中で過去・現在・未来というとらえ方をしないようだ。完了・未完了で分けるようだ。

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ボーマンの言うところによると、イスラエル人は一般のヨーロッパ人が使うZeit(時)にあたる時間の観念を表す固有の言葉をもっていないという。そして、ヘブライ語には完了体と未完了体の二種があるだけであるという。


「ヨーロッパ人は過去・現在・未来の時称を通して行為を空間に置き換え、それぞれの場合に応じて線上に固定する。これに反して、セム人は、話者の意識が行為を決定する固定点なのである。この場合行為がすでに完了しているか、あるいはまだ発展の途上にあると考えるか二つの心理的な可能性がありうる。(完了しているとみれば完了体であり、発展の途上にあるとみれば未完了体になる。)したがってヨーロッパ人の行為は客観的、非人格的、空間的な方向をとって決定される。ところが、ヘブライ人は主観的、人格的、時間的に思惟する」

(大野晋著 「日本語の文法を考える」 p143)
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さがしものを見つけると「あった!」と過去形で叫ぶ

財布がない。どうしよう、ない、ない、ないと心の中でうろたえながら、部屋の中を探しまわる。
探し回って、ついに見つけたとき、「あった!」と心の中で声が上がる。

ふしぎだ。見つけたのは「今」なのに、あった!と過去形でいう。

日本語には、他にも、
「分かった!」、「できた!」、「見つけた!」など、
「今この瞬間の達成」を過去形で表す言い方がいくつもある。

なぜそんな言い方をするのかを、このブログの中で明らかにしたい。

「日本語は相(aspect)ばかり気にする」

(岩波新書 「日本人の英語」マーク・ピーターセン p.100より引用)

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どうして英語と日本語との間にこういう違いが出てくるかというと、
いつも「時」のことばかり気にする英語の特徴に対して、
日本語は、「時」自体に関して特に気にせず、
いつも「相」(aspect)のことばかり気にするからである。
それは簡単にいいかえれば、
英語にとっては行動と状態の時(the timing of the action or condition)がもっとも大事であるが、
日本語にとっては行動と状態の完了の程度(the degree of completeion of the action or condition)がもっとも大事なのである。
具体的な例として、次の英語を考えてみよう。

Before I went to Beijing, I studied Chinese
(北京へ行く前に、中国語を勉強しておいた)

Before I go to Beijing, I am going to study Chinese
(北京へ行く前に、中国語を勉強する予定である)

After the storm had passed, all was quiet.
(嵐が過ぎ去った後は、すべてが静かであった)

After the storm passes, all will be quiet.
(嵐が過ぎ去った後は、すべてが静かになるであろう)

上の太字の英語をその和訳に比較すればわかるように、日本語では「行った前に」や「過ぎ去る後は」とは決して表現されず、「時」としての過去や現在は問題にされていないことがわかるであろう。

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(岩波新書 「日本人の英語」マーク・ピーターセン p.100)