■私なにかやっちゃったかな?とよく気になってしまう | 感情は魂からのメッセージ

感情は魂からのメッセージ

感情のコントロールとなりたい自分への最短メソッド【IRM感情科学プログラム】

こんにちは^^奥山リエ子です!


今週末5日(日)はIRMアカデミーでお花見を企画しています^^

ただ、雨の確立も高いんですよね。

雨のときは、
14時30分から、
武蔵小杉のグランツリーのパーティールームで
お子さまOKの懇親会になります^^

奥山も連れて行きますので、
託児の問題で今までなかなかIRMのイベントに参加できなかった方も
ぜひこの機会にみんなでたのしく親睦を深めましょう♪

幸田先生やインストラクター、エキスパートガイドに
気軽に質問したり、お話できるので、
もし何か今問題と思っていることがある方は、
解決の糸口も見つかると思いますよ^^

もし、雨だったら参加したいとかでも大丈夫です。

詳しいご案内・お申し込みはこちらです。









さて、タイトルの

・・私なにかやっちゃったかな?とよく気になってしまう・・

ですが、

なんかあると自分が間違えたのかも、悪いことしたのかも、
気になっちゃう・・・

あなたが、もしそういう経験を繰り返しているとしたら、
私の自己観察をシェアますので
こうやって原因を観ていくんだということの例として
役立ててくださったらと思います。



出来事はこうです。

仕事で、いつもの流れと違うことが起きていたのですが、
私は、これは何か私が反省すべきことがあるから
こういう流れを相手がとっているんだと受け取り、
ちゃんと私の中にある大元の原因を突き止めてそこから学んで次に活かそう。
必死になって自己観察していました。

でも、実際は私の思い違いだったんです。
相手の事情でいつもとは違う流れになっただけのこと。
私がそのことを知るのが遅くなった理由も
その事情であればもっともなことでした。


もともと自分の中に、理想通りにできていないという思いがあったので、
いつもと違う=反省すべきことがある
という受けとり方をしたということがまず最初にはあるのですが、

今日書いていくのは、

このとき

「とにかく反省しなければならない。」

という、プレッシャーのような
強迫観念と言ってもいいかもしれません。

かなり強いエネルギーが働いていたことを自覚して
これを観ていったことです。




なんで反省しなくちゃしなくちゃと思うのだろう。

反省しないと先に進まない。
反省しないとどんどんマイナスに入っていく。

これって、「恐怖」だなと思いました。

恐怖から反省しなければならないが来ていたんですね。



その理由を問いかけると、

「反省しないと責められるから」

がでてきました。

これが恐怖の理由の価値観ですね。



で、思いだしたのが、小学校3年生のとき
ある日朝教室に行ったら誰もいなくてビックリしました。

授業開始になっても戻ってこなくて、
隣のクラスの先生が、
「体育館でみんな合唱の練習していたよ」
と教えてくれて体育館にいくと、みんなが舞台で練習してました。

担任の先生が来てどうしたのか聞かれ
「知らなかった」と言ったけど
先生はみんながそろっているのを確認して話したといいました。
私は全く聞いた覚えがなくて納得できませんでした。

で、先生にこういうときなんて言うの?と聞かれました。

意味が分からなくてしばらくいましたが
そのうちにもしかして謝ることを求められているのか?
と思い、「ごめんなさい」といってみたところ、
そうだよね、と言われ解放されました。



私はかなりぼーっとしている子で
先生の話とかも、意識がどこかにいってしまって
聞いていないということがあったようです。

友達にいつ先生が話していたか聞いてみても
私がいた時に話していたようでした。



で、このときは何も悪いことしてないのに
なんで謝らされなければならないんだと
納得がいきませんでした。


先生の話を聞いていなかったことがいけなかったみたいだけど
でも私は聞いていないつもりも、聞かないつもりも全然なかったので
どうしたらいいんだろう・・・と思いました。

今思うとこの時、自分に自信がなくなったり、
聞いていたことがわからない自分が怖くなったりしたような気がします。



自分は自覚していなくても  
  悪いことをしていて  
  謝らなければならないことがある



この体験から強烈にインプットされたようです。



だから、なにかひっかかることがあるとすぐに
私が何かしたのかな?
という意識になる
んですね。



全く無自覚に何かしている可能性があるわけで
それをずっと気にしているのでそれはそれは大変です。

これが強迫観念的な感じだったんです。



まとめると、

「反省しないと責められる」

という恐怖の元は

「私は無自覚に反省すべきことをしている」  
 「私は無自覚に悪いことをしている」


という思い込み・価値観でした。




で、過去の原因はわかりました。
ああ、こんなしくみで反省点を必死に探していたんだな~
と分かるとスッキリです。



でも

ここで、担任の先生のせいでそう思い込んじゃっただけで、
別に私は悪くなかった。
無自覚なんだからしょうがないこと。
気づいた時に反省すればいいんだ。

とかで終わってしまってはもったいありません^^


この先も観ていくのがIRMです。



「担任の先生は本当に責めていたのか?」

という視点から観てみました。

瞬間的に責めていたわけではなかったとわかりました。

(なんでも責められていると受け取るパターンが
小3のときすでにあったようです・・・)


「まったく無自覚だったから・聞いた覚えがない」を理由にして、
だからしょうがないんだということではなくて、
話をちゃんと聞く意識を持った方がいいことを
教えてくれていたんだとわかりました。

そしたら、その先生に対して心からの感謝が起こりました。

ああ、私のことを思って言ってくれていたんだな・・・

この出来事でその担任の先生のことを恨んでいたことにも気づきました。



そして、

無自覚な部分に対して反省点を探すこと自体はOKだとわかりました。

自覚できていないこと、意識していないことで
何か自分や人にとっての幸せに逆行することをしていたりするのなら
それにアンテナを張っていることはメリットだし、

反省ということでは、反省するから成長できる。
なんでもこれでいいだったら成長は望めない。



無自覚の部分で悪いことをしていることに気づくためではなくて、
人とのコミュニケーションを円滑にとるため、
幸せでない原因に気づくために
無自覚な部分にもアンテナをはることが大事だということ。

自分の世界の中では100%真実でも、
相手の世界も想像したり、思いやったりすることが大事で
そのことによってコミュニケーションが良好になるのだし、
自分が意識できなかったことに気づくことができる。

人がものごとが鏡で存在しているということは、
今自分が自覚していないことにも気づいていくため、
自分を広げていくため。


今回のことでも、最初の葛藤しだした段階から、
私の心の中のことを鏡としてたくさん映しだしてくれていました。

だから自己観察して、こういったギフトを受けとれました。



30年間気になっていた出来事もこんなに大事なことを教えてくれて
ありがたいと思えるようになったし、
担任の先生にも本当に感謝の気持ちです。



浄化率は100%です♪


という私の自己観察体験談でした^^

自己観察は、感謝して、学びギフトを受けとるためにやります。



最後までお読みいただきましてありがとうございました。

自分のケースだとどうなの??

と気になった方は、ぜひ個人セッションで
じっくりお話を聞かせてくださいね。



IRM認定インストラクター
奥山リエ子

 
 
   
    ***   ***   ***   ***     
   
    問題の本質を明らかにし、     
 
    「望むことと起こってくることが一致する」         
      ための指針を得る個人セッション   
   
   
         
   
    詳細はこちらです。  
 
   
    ***   ***   ***   ***