こんにちは、I.R.M.エキスパートガイドの奥山リエ子です。
前回からの続きです。
小さく生まれたfukiに対して、心配するような現実が起こってきました。
親だから責任をという。
どこまで責任を取れるのか?
そもそもfukiの心臓を動かしているのは、私ではなくて宇宙。
心配する=宇宙に対して信頼していない。
親の責任ってなんだろう?どこからが責任で、どこからが過干渉なんだろう?
fukiの魂が選んでこの体験をしているのに、それを信じられずに私が無理やり「親としての責任が」の価値観で何とかしないといけないと思うのはどうなのだろうか。
自己観察していって、
①今までなんでも親のせいにしてきた自分に気づきました。
自分が望んでいなかった現実に対して、親のせいという思考をしていました。
もっと教えてくれたらよかったのにとか、親が言わなきゃ小さい時はわかんないのにとか。
それも本当は自分が望んだことだったのに。
その体験をする必要があったということなのに。
それを知らなかったから、今までそういう思考を出してきたけれど、今はもう自分が100%現実を創造しているということがわかっている。だったら、もう今までのことを親の責任にするのはおかしい。
と、逆の立場から考えて気づきました。
私が今までなんでも親のせいにしていたから親の責任をという思考になっていました。
また、②母の価値観を受け継いでいたこともわかりました。
今だと、鏡として見せてくれているということになるのでしょうか。
(3)へ続きます・・・